22.ミスター富士山・實川欣伸氏(2)

2013年08月19日12:00
今月の物語の主人公は・・・
「ミスター富士山」 實川 欣伸(じつかわよしのぶ) さん

22.ミスター富士山・實川欣伸氏(2)實川欣伸(じつかわ よしのぶ)。登山家。1943年神奈川県出身、沼津市在住。1985年に初めて富士山に登頂して以来登頂回数を伸ばし、2010年には登頂1000回を達成。翌2011年には登頂1111回達成の偉業を達成し、日本山岳会長特別表彰を受ける。不眠不休による富士山四登山道連続登頂、8連続登頂、 日本橋を始点とした登頂、下田を始点として伊豆横断しての登頂、富士山を含めた3000m峰29座を29日間で完歩等、常に新しいことに挑戦し続けている。その後も記録を伸ばし、年間登頂5年連続200回以上、登頂回数は累計で1400回を超す。日本山岳会会員。


※インタビューの聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史さんです。
※インタビューは2013年7月25日に富士山富士宮口6合目宝永山荘にて行いました。(撮影/森 奈保)
※このインタビューは、全3回のうちの第2回目です。 ≫第1回を読む


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|きっかけは、海外からの研修生と登ったことでした

―富士山に登り始めて、今年で何年になりますか?

實川/28年ですね。初めて富士山に登ったのは1985年の夏、42歳の時。神奈川県から沼津市に引っ越してきたら、目の前に富士山が見えるわけですよ。山好きの人はみんな同じだと思いますが、子どもを山に連れていきたい。それで家族5人で富士山に登ったのが最初。それ以来、家族そろっては登ってないなあ(笑)。二度目の富士山は、二年後の87年。この時は長女と次男と三人で登りました。

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―その頃は、ふつうの富士登山ですね。毎年登るということもなかった。

實川/富士山に何度も登るようになったのは90年を過ぎてからですよ。当時、僕が働いていた電子部品の製造会社が、毎年20人ぐらいの外国人研修生を受け入れていたんです。彼らの社宅と会社間の送迎は僕の仕事で、ある日、中国人研修生が「富士山に登りたい」と言い出して。なら「僕が連れていってあげるよ」ということになって、4、5人ずつ何日かに分けて登りました。それから年に5、6回ほど、研修生たちと富士山に登るようになったわけ。

―中国人研修生がきっかけだったんですね。みなさん、喜んだでしょう?

實川/そりゃあね。ある時、富士山頂で中国人の女性研修生が「私の国はどっちですか?」って聞くから、中国の方角を指差すと、そちらに向かって子どもの名前を叫んで涙ぐんだり。富士山頂に立てたことに感動して泣いてしまう子もいたり。不慣れな山登りが苦しくて歩けなくなってしまった研修生もいましたが、みんな最後まであきらめずに登りきりましたよ。

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―研修生たちは、特別な感情を持って富士山に登っていたんでしょうね。

實川/バブルがはじけて研修生は来なくなりましたが、その時に60名ほどの中国人と一緒に富士山頂に立ったことはいい思い出になりました。それだけでなく、わたし自身が富士山に強い思い入れを抱くきっかけにもなったので感謝しています。それからですよ、夏になると自然と富士山に足が向かうようになったのは。当時は、年に5回登っただけでも珍しがられたものです。

―富士登山の記録を意識し始めたのは?

實川/会社の仲間のひと言です。毎年数回も富士山に登っているぼくを見て、「そんなに何度も富士山に登るのなら、何か記録に挑戦したらどうか」と。その頃、富士登頂回数記録に挑戦中の人に偶然出会ったこともあって、「よし、自分も記録に挑戦してみよう」という気になったんです。

―それから、いろいろな挑戦が始まったと。

實川/富士山5連続登頂(29時間51分)や4つの登山道を一筆書きのように登り下りした四登山道連続一筆登山(30時間52分)、それから東京駅から東海道を歩いて富士山頂まで歩いたり(42時間)、伊豆の下田から富士山頂まで歩いたり(38時間30分)。登頂回数だけでなく、いろんな記録に挑戦したね。

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|富士登山、年間248回。その原動力はひとつです

―数多くの記録の中で、一番思い出深いのはどれですか。

實川/95年の日本横断登山ですよ。新潟県の親不知を起点に北アルプスから乗鞍岳、中央アルプス、南アルプスを越えて富士山に登って、ゴールの沼津千本浜まで。富士山を含めて3000m峰・29座を29日間かけて歩いたときは、とにかくきつかった(笑)。その直後です、『静岡アウトドアガイド』で取り上げてもらったのは。

―自著『富士山に千回登りました』(日経プレミアシリーズ)の中でも、日本横断登山については詳しく書かれていました。日本横断登山は、實川さんの登山家としての人生の転機になったようですね。

實川/苦しいだけでなく、多くの出会いがあったから。雪倉岳の避難小屋で出会った無口な山男は、後に七大陸の最高峰を極めている一流の登山家だとわかったのですが、その彼と、6年後の2001年にヨーロッパ最高峰のエルブルース公募隊のメンバーとして再会したこともいい思い出です。

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―日本横断登山の最終宿泊先が、今日の取材場所でもあるここ富士山六合目の宝永山荘でした。

實川/そうです。それ以来、宝永山荘は必ず立ち寄る山小屋になったんです。

―2006年に8連続登頂(富士宮~五合目/54時間56分)を成功させ、2008年には年間248回の富士登山を達成しています。挑戦し続ける原動力は?

實川/自分の体力の限界に挑戦したいという一心です。でも、70歳になって、これからは楽しみながらマイペースで登ってもいいんじゃないか、そんな心境になりました。

―18年前も同じようなことを言ってましたよ。「これからはのんびりと山や自然と触れていきたい」と。

實川/ははははっ(笑)

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Posted by eしずおかコラム at 2013年08月19日12:00 | 22.實川欣伸さん
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