24.シーアイセンター代表/甲賀雅章氏(2)

2013年10月21日12:00
今月の物語の主人公は・・・
甲賀 雅章(こうが まさあき)さん

24.シーアイセンター代表/甲賀雅章氏(2) 1951年静岡市生まれ。株式会社シーアイセンター代表取締役プロデューサー。インテリア、ディスプレイ、デザイン・編集会社を経て1975年株式会社トマト設立。1985年(株)シーアンドシー、1991年(株)シーアイセンター設立。 広義の意味でのデザイン、文化戦略を、21世紀型経営の最重要資源として位置づけ、 企業、組合、商店街、地方自治体等の活性化におけるコンサルティング活動を展開。CI戦略、ブランディング、コミュニケーションデザイン、新商品開発、新業態開発、空間プロデュース、イベントプロデュースと活動領域は広く、2009年地域・社会の問題をデザイン思考で解決すべく、ソーシャルデザイン研究所を設立。 2011年4月からは川根本町文化会館の事業パートナーとして企画運営に携わる。
  2011年6月静岡県榛原郡川根本町千頭、山間の里にCafe&Gallery「Ren」をオープン。
 1992年、大道芸ワールドカップIN静岡を立ち上げ、今日に至るまでプロデューサーを務める。2012年4月から大阪府江之子島文化芸術創造センター館長に就任。 2012年12月よりバンコクSiam Street Festのプロデューサー、 2013年4月、阿倍野を中心に開催される「大阪国際児童青少年アートフェスティバル」プロデューサーに就任。

◆ソーシャルデザイン研究所 http://sd-lab.org/
◆シーアイセンター http://www.ci-center.net/index.html

※インタビューの聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史さんです。
※この記事は、全3回のインタビューのうちの2回目です。 ≫1回目はこちら

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|業績好調、経営が面白くてブイブイいわせてたね(笑)

-フリーのプロデューサーからデザイン会社の社長になって、さらにシーアイセンターを作り、いまでは大阪府江之子島文化芸術創造センターの館長です。甲賀さんは、ご自分のやりたいことをひとつずつ着実に実現してきているようにみえますが、振り返ってみて、これまでに転機はありましたか?

甲賀/大きな転機は、2回ありましたね。最初の転機は、大道芸ワールドカップを始める少し前、1990年前後かな。37、8歳の頃。

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-シーアンドシーというデザイン会社を経営していた頃ですね。

甲賀/そうです。34歳で立ち上げたシーアンドシーが波に乗って、広告業界でブイブイいわせていた頃。当時の僕のビジョンは、“デザイン業界の活性化”で、経営的には絶頂期だった。

-デザイン業界の活性化?

甲賀/当時は、デザインはおまけの仕事、印刷を発注するとサービスとしてついてくるもの、という時代だったんですよ。そんな現実を前にして、デザインはお金がとれる仕事であり、ビジネスとして成立するはずだ、ということを実証したかった。勝手にそんな責務を抱いて仕事をしていた。

-デザインを、価値のあるものとして社会に認めさせたかったと。

甲賀/それにね、経営というものが面白かったんだ。どんな仕組みを作ればデザインに対して顧客は適正な対価を払うのか、どうすれば収益を上げられるのか。そんなことを考えながら、自分の仮説を実行していくと、みごとに業績が上がっていった。

-ビジネスを前面に打ち出したシーアンドシーの挑戦的な取り組みは、テレビや新聞にも取り上げられていました。

甲賀/対顧客だけでなく、社員の評価制度に当時としては先進的な年俸制を取り入れるなど、働き方にも次々と新機軸を打ち出していった。その結果、シーアンドシーは、一時、経常利益4000万円法人にまで育っていったんだよ。そんな経営手法がNHKの経済番組や新聞などのメディアの目に留まって、取り上げられたんだ。

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-新しい経営手法で躍進する企業として、NHKの全国放送で紹介された番組を覚えていますよ。

甲賀/当時は七色のジャケットを着て、取材を受けたりしてたのね(笑)。イヤな顔してたでしょ。


|このまま経営者を続けると、「イヤな奴」になりそうだった

-とにかく勢いがありましたし、デザイン会社という存在を社会的に認知させたことは間違いないと思います。そして、会社は驚くほどの早さで成長しました。

甲賀/でね、実はそんな飛ぶ鳥を落とす勢いの中で、経営者としては自分の限界を感じていたんですよ。

-それはどういうことですか。

甲賀/ある時、自分は投資ができないことに気づいたの。例えば、自分がすごいビジネスプランを考えついたとするでしょ。新商品でもサービスでもかまわないんだけど「これは絶対に消費者に支持される」「儲かる」と確信がもてても、それを自分で実行する勇気がなかった。

-と言いますと。

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甲賀/それを実現するための必要資金は、銀行から借り入れを起こさなければいけないよね。それができなかった。数千万円を自分で借り入れを起こして、それを計画的に回収し、数年かけて返済する、というリスクを背負う回路が、自分の中にないことに気づいた。

-リスクを取れない、投資できないということは、経営者としての限界だと。

甲賀/そういうこと。その時に、もうひとつ気づいたことがあるんだ。仮に、自分に借金する勇気があったとして、新製品も売れて、運よく儲けたと想像したときに、心が躍らない自分がいたんだ。「俺は、金を儲けたかったのか?」と自問した時に、どうも、自分はそれを望んではいない、とね。

-会社が利益をあげても、素直に喜べない自分がいた。

甲賀/それでは経営者失格なんだよ。絶好調の頃、社員は25名ほどいて、静岡県内のデザイン会社としてはトップの規模になっていたんだけど、それが自分の限界だった。このまま続けて50人の会社に拡大させていったら、俺はどんどんイヤな人間になってしまうんじゃないか、そう感じていた。

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-それが最初の転機だった。

甲賀/それはきっかけの一つ。後になって振り返ってみてわかったんだけど、その頃、転機を迎えたきっかけは三つあった。

-経営者失格は、その一つ目だと。


|街づくり、そして大道芸ワールドカップin静岡へのきっかけ

甲賀/きっかけの二つ目は、「広告」自体が、時を同じくして面白くなくなっていったこと。「こんなことをしていていいのかな」と思い始めたこと。

-バブルの頃ですよね。

甲賀/たしかにバブルの頃だったけど、バブリーな仕事がきていたかというと、それほどでもなかった。でも、いいポスターは全部ウチで作っていたんじゃないかな。そう思えるほど、静岡の大きな仕事は、ほとんど手がけていた。その一方で、広告という仕事から情熱が冷めていった。このまま企業のお手伝いを続けていて、この先どんな未来があるのか、とね。

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-なぜ、そう思い始めたのですか。

甲賀/まちづくりの視察でヨーロッパに行き始めたのがその頃でね。ヨーロッパの街を歩きながら、日本には決定的に欠けているものがあると実感したんだよ。日本人の方が金持ちなんだけど、生活が豊かとはいえないと、リアルに感じて…。豊かさを実感できる生活を手に入れるためには、広告を作ったり、企業のお手伝いをするだけでは変わらないんじゃないか。お手伝いをするにしても、広告というアウトプットよりも川上のコンサルテーションをしなければ、世の中に影響力は持てないだろうと考えた。それで、シーアイセンターを作ったんだ。

-それが91年、40歳の時ですね。

甲賀/シーアイセンターは、事業家としての自分じゃない仕事に踏み出した一歩でもあるのね。そんな背景があって、街というものに興味を持ち始めた。自治体や商店街の仕事をやろうとは、まったく思っていなかったのに。お金にもならないし。

-そこから、街づくりに関わっていくのですね。翌92年の「大道芸ワールドカップin静岡」の開催へとつながっていく。

甲賀/それまでは、デザインの領域をグラフィックや広告に限っていたんだけど、ヨーロッパのデザイナーとつき合い始めて、デザインというのはそれだけじゃないと気づいた。デザインとは、思考の部分が重要なんだと。最終的なアウトプットとして、どんな意匠にするとかも大事なんだけど、それ以上に、デザインの素晴らしさは「デザイン・シンキング」にあるんだと。それに気づいたことが、3つめのきっかけだね。

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-点と点がつながりました。

甲賀/グラフィックや広告だけじゃなくて、デザイナーはプロダクトだってできるし、建築も、イベントもできるんじゃないかと考えるようになった。

|デザインとは、人々の思いを形にし、新しい価値を創造する仕事

-先ほどおっしゃった「デザイン・シンキング」をわかりやすく説明していただけますか。

甲賀/あくまで、ぼくの概念ですよ。デザインというのは、情報を再編集する行為。情報というのは、過去のものもあれば現在のものも未来の情報もあるんだけど、そういう時間軸の情報に、生活者の視点が絡んでくる。さらにそこに企業や地域の情報を加えて、それらを再編集することなんだ。大切なことは、再編集することで、新しい価値を生み出すことなんだよ。それを考えることが、ぼくの考えるデザイン・シンキング。

-新しい価値を創造する行為そのものがデザインなんですね。手段はグラフィックでもプロダクトでもイベントでもいろいろあると。

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甲賀/そこで生み出す新しい価値は、社会にとって必要とされるものであることが望ましい。

-デザインの領域が広がっていった。

甲賀/というよりも、デザインのとらえ方が深くなっていった。印刷の入稿データをつくれるのがデザイナーの仕事なのか、ラフまで書けるのがデザイナーか、イラストレーターを完璧に使えることがデザイナーか、そう考えると、全部ちがうでしょ。

-作業をできることが、デザイナーの仕事ではないですよね。

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甲賀/そうなんだよ。でも日本の社会では「デザイン」という言葉を、どうも狭く捉えてしまう。それで数年前からは「デザイン」の変わりに「クリエイティブ」という言葉を使って、「クリエィティブ・シンキング」と呼びはじめた。

-デザインの素晴らしさと新たな可能性に気づいた甲賀さんは、ご自分のこと第三者に何屋と紹介するのですか。

甲賀/あるときはデザイナー、あるときはプロデューサー、またあるときは…(笑)。

-ははは(笑)

甲賀/ぼくはね、昔から自分のことをハイフォニストと呼んでいるの。デザイナー・(ハイフン)プロデューサー・(ハイフン)クラウン・(ハイフン)…てね。ハイフンがいっぱいあった方がカッコいいじゃない。それで、自分のことを「ハイフォニスト」と呼んでみようと。

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-「ハイフォニスト」?

甲賀/ひとつの肩書きに縛られるのがイヤだったから。でね、ひとつの肩書きを選ばなければならないときは「想造人」て書くんだよ。人々の想いをカタチにする人。カッコいいだろ? カッコよすぎてあんまり使えないんだけど(笑)。

-ここぞ、という時は「想造人」になるわけですね(笑)。

第三回に続きます


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Posted by eしずおかコラム at 2013年10月21日12:00 | 24甲賀雅章さん
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