今回の主人公は・・・
砂田麻美(すなだ まみ)さん
ガン宣告を受けた父親の半年間にわたる“終活”記録。娘としての自分と、監督としての自分の二つの視点で描かれた心温まるドキュメンタリー映画『エンディングノート』。監督デビュー作となる本作品の監督砂田麻美さんに、映画について、そして近しい人の「死」や家族について、お話をお伺いしました。
被写体となった主演の砂田知昭さんは、砂田麻美監督の実のお父さん。高度経済成長期を支えた企業人として、仕事柄身に付いた“段取り上手”は、ガン宣告後も変わることなく、自身の最期を抜かりなく迎えていく。
◆砂田麻美さん プロフィール
すなだ・まみ/1978年生まれ。 慶応義塾大総合政策学部在学中から映像ドキュメンタリーを学び、卒業後はフリーの監督助手として是枝裕和らのもと、映画制作に従事。主な参加作品に、『市川崑物語』(06/岩井俊二監督)、『歩いても 歩いても』(07/是枝裕和監督)、『空気人形』(09/是枝裕和監督)など。第一回監督作品の本作で、山路ふみ子映画賞・文化賞、報知映画賞・新人賞他国内外の賞を受賞。
◆ 『エンディングノート』公式サイト:
http://www.bitters.co.jp/endingnote/
※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史です。
※この記事は、全3回のインタビューのうちの1回目です。
※写真撮影:森島吉直
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第1回 『こうして映画が生まれました。』
海野/『エンディングノート』を観させていただきました。「父親の死」という大きな悲しみと同時に心温まる気持ちにもなりました。
砂田/ありがとうございます。
海野/最初は映画にしようと思って撮りはじめたわけではなかったそうですね。ガンの宣告を受けたお父さんを映画にしようと意識したきっかけは何でしたか。
砂田/強い動機があったわけではないんです。わたしは、小さな頃から家族の日常を、節目節目にカメラで追いかけることが多かった。ですから、ガンが発覚する以前から父を撮影していたんです。ガンがわかってから亡くなるまで約半年ほどあったのですが、最初は家族も大混乱で、撮影するとかしないとか、実際はそれどころではありませんでした。ただ、すこしずつ生活が落ち着いてきた時に、やっぱり最後まで父を(カメラで)追いかけるべきではないか、と思い始めたんです。
一方で、娘としてそれは許されるのだろうか、という思いもありました。それに、カメラを回すか回さないか、どちらがラクかと聞かれれば、回さない方がラクなんです。
海野/とても複雑な心境だったでしょうね。
砂田/そんな頃に、映画監督をしている友人から 「本当に、それで後悔しないの?」と聞かれたんです。その友人の言葉が心にグサリときて、「あぁ、後悔するかもしれない」と、その時になって思いました。
海野/それからカメラをふたたび回し始めたんですね。
砂田/その時に、自分の中でルールを決めたんです。仕事として(カメラを)回せば、わたしも家族も辛くなる。仕事となれば「ここも撮りたい」「もっと踏み込みたい…」となりますから。それで、娘と父という家族の関係を崩さないことを前提に撮ることにしました。たまたまそこにカメラがあった時に「映っているものがあればそれでいい」そう覚悟を決めたんです。
海野/映画の中のある時期に、気持ちを切り替えた時があった。
砂田/映画の冒頭で、ナレーションの量がとても多いのですが、後半になって急に静かになっている。その変わり目が、覚悟できた時なんです。
海野/映画として撮り始めたわけではなかった映像を編集し、ある時期にプロデューサーの是枝監督に見てもらっていますね。
砂田/父が亡くなって3ヶ月程経った頃でした。撮りだめていた映像を編集したいと思い立ち、アップルストアに行って一番安いiMacを買ってきた。そして、自宅で一人で編集しはじめました。ナレーションも自分で吹き込んである程度まとまった頃に、身内でない人が見たら「これってどのように見えるんだろう」と思ったんです。
海野/その時は、「誰」に見て欲しかったのですか。
砂田/「誰」に見て欲しい、ということはなかったです。「表現したい」という気持ちがあるとすれば、それは自分の内側から自然に沸き上がるもの。作っていた時に、それを特定の誰かに見て欲しい、という気持ちはありませんでした。
海野/是枝監督の反応はいかがでしたか。
砂田/随分長い沈黙があった後に、是枝監督が「おもしろかった。 …これは映画になるんじゃないの」といわれたんです。その時初めて「映画」という単語が、わたしの前に現れました。
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