37.CIELOAZUL(シエロアスール)代表/青木絵里花氏(1)

2015年04月16日12:00
今月の物語の主人公は・・・
CIELOAZUL代表・青木絵里花(あおきえりか)さん

37.CIELOAZUL(シエロアスール)代表/青木絵里花氏(1)
 静岡市清水区生まれ。大阪の雑貨会社勤務後、20代前半で独立起業。1997年に静岡市葵区伝馬町にセレクトショップCIELOAZUL(シエロアスール)を、3年後にカフェcielo azul cafeをオープン。その後、常磐町への出店を経て、現在は鷹匠を中心に4店舗を経営。2015年1月には葵区駿府町に、バー「小サイ」をオープン。起業以来17年にわたり、静岡市の中心市街地“おまち”で人気店を経営している。

CIELOAZUL/シエロアスール(洋服、雑貨)
ブログ「cielo azul Material」
 (心地良いを纏う日々)

◆cielo azul cafe/シエロアスールカフェ(カフェ)
◆NAVY.WO Shizuoka
 /ネイビー・ウォ静岡(洋服) 
◆小サイ/コサイ(バー)


※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史さんです。
※この記事は、全3回のインタビューのうちの1回目です。
≫インタビュー2回目はこちら
≫インタビュー3回目はこちら

※インタビューはバー「小サイ」にて行いました
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 静岡の“おまち”で、約18年間にわたりセレクトショップ「CIELOAZUL」やカフェのお店を経営してきた青木絵里花さん。2015年2月には、新静岡セノバの向かい、北街道沿いにカウンター席のみの小さなお店“小サイ”もオープン。元気がなくなったと言われる静岡の“おまち”で、ますます活躍中の青木さんに、お店づくりや商売を通して見てきた、静岡の「おまち」の変遷などをお聞きしました。
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|「あったらいいな」をカタチに

-今日は、静岡の「おまち」でますますご活躍中の青木さんに、静岡の「おまち」で商売すること、商売を通じて「おまち」をどのように見てきたか、などについてお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。

青木/よろしくお願いします。

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-本題に入る前に、バー「小サイ」のオープンおめでとうございます。カウンター席のみのかわいいお店ですね。居心地がよさそうです。

青木/ありがとうございます。

-青木さんの経営するお店は、「小サイ」で4店目ですね。以前『womo』(ウーモ)のインタビューで「大好きな静岡で、自分自身“あったらいいな”と思えるお店を展開していきたい」と答えていましたが、「小サイ」も青木さんご自身の「あったらいいな」をカタチにした飲み屋なのですね。

青木/そうですね。なになに専門店とか、なになにバルではなくて、お客さまに好きなように楽しんでもらえる場所になればいいな、と。

-それが青木さんの今の気分なんですね。

青木/はい。

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|おもしろそうな場所を作りたかった

-それでは本題に入りたいと思います。青木さんの最初のお店「シエロアスール」は元々、“おまち”のどこにオープンしたのですか?

青木/伝馬町です。CoCo壱番屋の向かい、HITBOXさんのビルの3階です。

-カフェとギャラリーのお店「西方」さんがあったビルですね。

青木/そうです。「西方」さんの上です。見晴らしもよくて、いい場所でしたよ。

-たしか1997年?

青木/はい。20代前半でしたが、自分のお店を持ちたい一心で独立起業しました。初めてのことでしたしヒヨッコでしたから、「おまち」の真ん中にお店をオープンする勇気はなくて。静岡の街をいろいろ回って、最終的に伝馬町のビルの3階に決めました。

-当時の伝馬町は、どんな場所でしたか?

青木/そのころの伝馬町には、現在ほどショップがなかったんですよ。わたしは学生のころから、街の中心から少し外れた場所の、おもしろそうなお店で遊ぶタイプだったんです。

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青木/それで自分がお店を始めるにあたり、そんな場所をお客さまに提供できたらいいな、という気持ちもあって。伝馬町は、まさにそのような場所でした。


|就職していた間は、わたしの修業時代です

-ずいぶん若くしてお店を始めたんですね。

青木/就職する時すでに、いつか自分でお店を開こうと決めていました。大阪の学校を卒業したあと、新卒で大阪の雑貨会社に入社して営業職についたんです。

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青木/数年間でしたが、大阪、神戸、京都、奈良など、関西のたくさんの雑貨店を営業で回ったことが、わたしの修業時代といえます。いろいろなお店のディスプレイや接客など、多くのことを学びました。

-関西で修業してから静岡で独立することは、計画通りだったんですね。

青木/そうです。バブル景気のはじけた後だったので、実は、最初から“売れる”という感覚を持てないままのスタートでした。でも、景気は悪くなりましたが、バブルの残り香はありましたし、今みたいな“ダーク”な感じはなかったです。

-今は“ダーク”な感じ?

青木/ダークですよ(笑)。今からお店を始める若い方は、ハッピーな感覚を持ちにくいと思います。わたしがお店を始めたころは、まだ可能性を感じられました。
とはいってもその当時、独立起業する女性はほとんどいなかったようで、銀行の融資はおりないし、不動産屋さんには物件を紹介してもらえないし…。いきなり社会における女性の弱さを痛感しました。

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|やりたいことが沸き上がって、3店舗のお店をオープン

-初めてのお店を開くにあたり、目標とするお店はあったんですか。

青木/ありません。決めていたのは、静岡にはなかったクラフト雑貨を扱うこと、個人が作ったよいものを世の中に送り出したいということ。それだけで、頭の中はいっぱいでした。

-オープンしてからお店は順調でした?

青木/いえいえ、すごく大変でした。3ヶ月に1回は家賃が払えないくらいに(笑)。実はですね、独立して10年目くらいまで、食べることを節約してしのぐような状況だったんですよ。

-まわりからはそう見られなかったと思いますが、苦労されていたんですね。

青木/そうです。そんな状況なのに、その3年後の2000年にカフェをオープンしました。まだ“カフェって何?”という時代でしたが、このお店で現金が少しは回るようになって。

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-ひといきつけた?

青木/いいえ。すこしうまくいったかなと思うと、すぐに新しいビジョンがわき上がって、やりたいことが増えちゃうんです。それでカフェのオープンから3年後、3店目のお店を常磐町に出しました。

-青葉公園と昭和町通りの角にあったお店ですね。建物も含めて洗練されたお店だったと記憶しています。

青木/ありがとうございます。このお店は自分の理想のお店を作ろうと、本当にがんばったんです。だからオープンまではとても楽しかった。オープンまではね(笑)。

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Posted by eしずおかコラム at 2015年04月16日12:00 | 37.青木絵里花さん
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