40.染物屋 紺徳・パサージュ鷹匠/望月誠一朗氏(2)

2016年05月12日12:00
今月の物語の主人公は・・・
パサージュ鷹匠オーナー・望月誠一朗(もちづき せいいちろう)さん

40.染物屋 紺徳・パサージュ鷹匠/望月誠一朗氏(2)
 1958年静岡市生まれ。老舗染物屋の3代目。2010年に静岡市葵区鷹匠2丁目に、路地のあるテナントビル「パサージュ鷹匠」を建て、鷹匠2丁目のまちづくりを牽引するひとりとして活躍中。

「パサージュ鷹匠」ホームページ
Passage-TAKAJO パサージュ鷹匠

【ラジオ番組出演レポート】
「eしずおか探検隊」2013/10/7
「eしずおか放送室」2014/4/7
「eしずおか・まちぽ放送室」2015/10/5


※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史さんです。
※この記事は、全3回のインタビューのうちの2回目です。
≫1回目のインタビューはこちら
≫3回目のインタビューはこちら

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|パリのパサージュをイメージ

-「パサージュ」という名前は?

望月/表と裏に路地がある立地をみた小島社長が「これは活かせる」と。両側にテナントを配置して、真ん中に小道、つまりパサージュを通すというプランは、小島社長のアイデアなんです。名前もそこからつけました。

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望月/両サイドの店舗の上にアーケードをかけて、真ん中に路地を通し、上の階に人が住む。そんなパリのパサージュの発想をもちこんだんです。アーケードの実現は無理にしても、第一期工事を始めた時から、いまの完成形をイメージしていました。

-6年前に完成イメージができていたわけですね。

望月/はい。でも、資金も度胸もありませんでした。工房のあったこの場所(二期工事側)をすぐに閉めることができない事情もあり、一度に立て替えることはできませんでした。それで6年をかけ、一期・二期に分けたのです。


|好きな東京の風景に見つけた希望と自信

-「パサージュ鷹匠」の完成した姿に、ご近所さんも驚かれたのでは?

望月/そうですね。ご近所さんは「この住宅街に、何ができるんだ?」と不安に思われますから、事前に説明をいたしました。それでも第一期の「パサージュ鷹匠」が姿を表すまでは心配だったようです。

説明の場で、小梳神社のとなりの「イタリアン・トマト カフェジュニア」のビルのようなイメージと説明してしまったこともあり、「飲み屋街ができるのか、酔っぱらいがうろついたら困る」などと、ずいぶん心配されました。でも、完成した施設を見た近所の方に「素晴らしい建物ですね」と言っていただき、本当にほっとしました。

-景観との調和など、参考にされた場所もあるのですか。

望月/学生時代から、南青山や表参道、神宮前あたりが好きな場所で、東京に見学に行きました。商業施設のすぐ裏に住宅街があったり、大使館が点在していたりして。小さいけれど個性的なお店があって、それらが渾然一体となった雰囲気がおもしろいと思っていました。

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望月/このプランを進めているときにも、南青山あたりを見て歩きました。あるとき、青山通りから狭い路地に入ったらどこかで見た覚えのあるブルーのお店があったんです。目の前に行ったら「キルフェボン」の青山店でした。「へぇ~、静岡のお店がこんな場所にあるんだ」と新しく発見して。

それから冷静になって、あらためて周辺を歩いてみたら、半地下のお店や「パサージュ鷹匠」とおなじような雰囲気の2階建てのビルもありました。裏原宿の路地を歩くうちに、ショップと住宅街が入り交じった街のおもしろさ、路地の魅力に気がついたんです。そして、次第に「やればできるかもしれない」と思えるようになりました。実際、鷹匠にも小さなお店が増えて、東京の代官山に例えられたこともありました。

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-フリーマガジンの「womo(ウーモ)」でも鷹匠特集は人気でした。

望月/「静岡の代官山」という例えは心配しました。東京の代官山に行ったことのない方も多く、漠然としたイメージだったのだと思います。東京を知っている人は、本家の代官山と鷹匠とのギャップに驚くはず。

-鷹匠もいつかは代官山や南青山みたいな街に、と思っていましたか?

望月/その頃はまだ「誰か、元気のいい人が鷹匠エリアに来て、おもしろいお店をつくってくれないかなぁ」などと、外の人たちに依存していましたね。


|行政の援助に頼らないまちづくり

-「パサージュ鷹匠」は、行政の支援もありましたか。

望月/パサージュ計画が動き出したころ、商店街やまちづくりの関係者の中には、行政や商工会議所がバックで支援しているんじゃないか、と噂する方もいました。実際に「どうやっているんだ」と聞かれたこともありました。

すべて自己資金であること、リスクを負ってやっていることを伝えると、みなさんとても驚かれて。逆に“ガンバレ”と応援してくれるようになりました。

「まちづくり」や「商店街の活性化」というと、行政の援助が前提の発想になりがちかもしれません。

望月/従来の商店街の活性化は、行政の力を借りてやることが当たり前でした。それができた時代でもあったのでしょう。自分では何も動こうとせず、リスクもとらずに、まわりに“やれやれ”でもよかったのです。

それは、応援団はいるけど、選手がいないようなもの。でもこれからは、旗をふっただけでは人は動きません。自分でリスクをとって行動しないと、何も変わらないと思います。

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-人口減少時代になり、行政も民間活用に舵を切っているようです。

望月/ここを始めてから、鷹匠2丁目と3丁目が一緒になって何かできないかと、行政に相談にいったことがありました。でも、行政の支援を受けるためには、全店舗のオーナーさんを集めて、みんなの合意をとることを求められるんですね。

しかしながら、営業時間も休みも違う店主全員が、一堂に会することは難しく、会合は開けません。行政が望むように、定款を作ってカチッと運営することは現実的ではありませんでした。それで行政の支援については、結局白紙にしました。


|魅力ある場所にするためのテナント集め

-テナント集めは順調でしたか。

望月/正直なところ、入居者集めについては予想できませんでした。なので、テナントスペースを小さな区割りにしました。10店舗あるうちの半分が埋まれば、なんとか採算がとれる事業計画を立てました。

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望月/大きなテナントにしてしまうと、抜けたとき次のテナントが決まるまでに時間がかかりますし、その間「テナント募集」の看板を出し続けるのは避けたかったんです。

小さな区割りにすることで、敷金や家賃を呉服町辺りの半額程度に抑えることができました。区割りが狭すぎて、プロのショップ経営者やナショナルブランドは入りませんが、はじめて出店する方や事業の拠点を持つ方にとっては、手が届きやすい条件を用意することができたと思います。

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望月/最初は1階から埋まると思っていたのですが、ロケーションのいい2階から埋まっていったのは意外でした。実際にこの場にきて、ここの雰囲気が気に入って、決められる方が多いです。このような物件は、静岡にありそうでなかったんじゃないですか。

-魅力のあるテナントさんに入っていただくだけでなく、その組み合わせもビルの輝きに影響しますね。

望月/そこはとても重要です。うちは物件情報紙で募集するのではなく、CSA不動産さん1社にまかせています。ぼくの意向を理解してくれている小島社長の感性を信じて、テナント集めはおまかせしています。

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望月/カレー屋さんやカラオケ屋さんからのお問い合せもありましたが、「何でもいい」とはしたくないんです。町内の方を不安にするテナントは入れたくないですし。そういう状況でふんばっていましたから、入居者がすべて決まるまでに1年近くかかりました。

正直に言えばやせ我慢です。それができたのは、ぼくたちには「紺徳」という本業があって「パサージュ鷹匠」はサイドビジネスとして始めたから。PART.2もすべて埋まるまでに、1年かかっちゃいましたね。

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Posted by eしずおかコラム at 2016年05月12日12:00 | 40.望月誠一朗さん
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