42.株式会社玉川きこり社代表取締役/原田さやか氏(3)

2017年04月24日12:00
今月の物語の主人公は・・・
株式会社玉川きこり社代表取締役・原田さやか(はらだ さやか)さん

42.株式会社玉川きこり社代表取締役/原田さやか氏(3)
 愛知県豊橋市生まれ。大学入学を機に静岡へ。仕事を通じて玉川のおばあちゃんと出会い、静岡市の山村〝玉川〟を知る。2008年に「安倍奥の会」を立ち上げ、安倍奥・玉川の魅力を伝えるとともに、2014年3月には玉川地区に移住し、株式会社玉川きこり社を設立。代表取締役就任。「きこりと子育て」を事業テーマに活躍中。

玉川きこり社(HP)
玉川きこり社 blog


※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史です。
※この記事は、全6回のインタビューのうちの3回目です。
≫第1回 それほど山の暮らしが合っていた
≫第2回 玉川のおばあちゃんのおもてなし
≫第4回 目指せ、日本一みんなで子どもを育てる村
≫第5回 玉川で何か始めたい!
≫第6回 地元の人たちと一緒に子育てしやすい玉川に

・・・・・・・・・・・・・・・

|第3回 絵空ごとだった事業計画。

海野
その後は玉川地区とどのような関わりを?

原田
おばあちゃんとの出会いがきっかけで、玉川に通うようになって、ますます山での暮らしに魅かれていきました。同時に、自然と共生する山の暮らしの魅力をもっと多くの人に伝えたい、そんな気持ちが強くなって。2008年に「安倍奥の会」を立ち上げたんです。

海野
どんなメンバーが集まったんですか?

原田
山好きの方をはじめ、歴史研究家、行政の方、学生など、いろいろな人が参加してくれました。一番多い時期で20~30名ほどの会員がいました。情報誌の仕事のかたわらで、イベントを開催したり、「玉川新聞」というコミュニティ紙を創刊したり、いろいろな活動に取り組みました。

海野
忙しかったでしょうね。

原田
そうですね。そのような状態で数年は頑張ってみたのですが、情報誌の仕事をしながら自分の思いを実現することに限界を感じるようになって…。次第に「ここ(玉川)に身をおいて、本気で関わってみたい」という気持ちが強くなっていったんです。それで、2014年3月に「株式会社玉川きこり社」を設立。そのタイミングで、玉川に移住しました。

海野
そして、玉川きこり社の社長になった。

築80年の空き家をリノベーションした玉川きこり社の社屋。
42.株式会社玉川きこり社代表取締役/原田さやか氏(3)

原田
「安倍奥の会」の言い出しっぺがわたしでしたのでリーダーに担ぎ上げられて、会社を立ち上げた時も、その流れで社長になりました。

海野
そうだったんですね。

原田
わたし自身は、社長に向いているとは思っていません。そもそも、社長になろうと思っていたわけではないですし。それまではカメラマンでしたし。

海野
それでも決断したんですね。

原田
経営のことも知らなかったのですが、「自分がやるしかない」という思いだけはありました。

海野
会社の運営スタイルは?

原田
“自分が全部を決める”というトップダウン型ではなくて、みんな相談しながら、全員がいいな、と思う方向に進んでいければいいと思っています。

海野
「玉川きこり社」は、うまく軌道に乗りましたか?

原田
いえいえ。一年目はまったくダメでした。最初に仲間と事業計画書は作ったんですけど、いざスタートしてみると、自分たちが描いた計画は絵空ごとだった、ということにすぐに気づかされました。

これから山に出かけるきこりの矢野さん。東京から移住してきた。
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海野
想定と何が違っていましたか?

原田
創業当時困ったのは、「安倍奥の会」で取り組んでいたような活動を、様々な団体から依頼されるようになったことです。「安倍奥の会」はボランティアの活動ですし、そちらの仕事で忙しくなってしまって。「玉川きこり社」の売り上げが、まったく立たないという状況でした。

海野
それに、ボランティアと同じような仕事だと請求しづらいとか?

原田
それもあります。「いままでボランティアだったのに、会社を作ったら、お金を稼ぎはじめた」という声もあって…。

海野
そういわれてしまうと、つらいですね。

原田
まさに過渡期で、精神的にも苦しい時期でした。わたしたちが考えていたことは、仕事としてきちんとお金を回して、この山村に産業を育てること。雇用を生み出して、地域の暮らしを支える役に立つことでした。それが、この地域の文化を受け継いでいくことにつながるはずだと。

海野
産業と雇用は、地域の自立に不可欠ですしね。

原田
はい。1年目はそんな状態でしたが、応援してくれるメディアの方々が私たちのことを取り上げてくれました。そんなこともあって「玉川きこり社」の名前は知られるようになっていったんですが、売上は上がらないし、会社の経営は苦しくて。わたし自身、葛藤を抱えて、すごく恥ずかしい気持ちになったこともありました。

海野
そのような大変な1年目を乗り越えられたのは、希望を失わなかったから?

原田
希望というよりも「自分たちのやろうとしていることは間違っていない、いつかきっと、いい方向に向かう」と信じ続けられたからだと思います。信じる気持ちはあったけど、どうやってお金を稼げばいいのか、それがわからなかった。

玉川きこり社の理念に共感して集まったスタッフのみなさん。
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Posted by eしずおかコラム at 2017年04月24日12:00 | 42.原田さやかさん
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