18.就職支援財団理事長/満井義政氏(1)

2013年02月11日12:00
今月の物語の主人公は・・・
就職支援財団理事長 満井義政 さん

18.就職支援財団理事長/満井義政氏(1)


大学卒業と同時に起業し、求人情報誌を創刊した満井さん。以来、人材派遣・人材紹介など人材ビジネスに携わり続け、現在は大学生や高校生を就職支援する財団を立ち上げている。実は、インタビューの聞き手であるわたしが満井さんに初めてお会いしたのは約30年前のこと。新卒のわたしが入社した先が、満井社長率いる(株)アルバイトタイムスだったのである。40年間にわたって一貫して人と仕事をつなぐ現場に立ち会い続けている満井さんに、若者の仕事観の変遷や財団創設の理由、学生と企業の幸福な出会いについて聞いた。

◆プロフィール 満井義政(みつい よしのり)さん
1948年、静岡市清水区生まれ 。中央大学経済学部卒業と同時に株式会社アルバイトタイムスを創業。 代表者として2004年まで求人情報誌はじめ人材派遣、人材紹介などの経営に携わる。 その間、社団法人全国求人情報協会の理事長に就任(95年から03年)。2006年就職支援財団を立ち上げ、大学生を中心に就職をテーマにした支援プログラムを運営。 2007年より静岡大学理事(非常勤)、2009年より静岡銀行監査役(非常勤)。

◆就職支援財団 http://www.shushokuzaidan.or.jp

※この記事は、全6回のうちの1回目です。

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|わからなければ、わかる人に聞く。ぶつかってみる

―ご無沙汰しています。今日は楽しみにしていました。よろしくお願いします。

満井/こちらこそ、よろしくお願いします。

―わたしがアルバイトタイムスに入社した時、満井さんは35、6歳だったと思います。7年間お世話になって、少し寄り道して、私が今の会社(株式会社しずおかオンライン)を立ち上げたのは32歳の時。経営者になってみて、自分がどれほどアルバイトタイムスに影響を受けていたのか実感することがよくあります。社長像というものがあるとすれば、満井さんを思い浮かべますし、大切な判断をしなければならない時など、満井さんはこんな時どうしていたんだろうと・・・。

満井/ははは(笑)。海野さんにとってわたしは、身近な事例研究の対象ということですね。何かの問題提起にでもなれば幸いです。僕は大学を卒業していきなり会社を始めたので、経営どころかビジネスの世界も知らないまま社会に飛び込んだわけです

―ビジネスや経営のことは、どのように学んだのですか?

満井/僕の場合は、「わからなければ、わかる人に聞く」という姿勢で乗り越えてきました。アンテナを立てているといろいろな課題が見えてきますよね。自分より先に同じ課題を乗り越えてきた人がどこかにいるわけです。そのような人に、とにかく聞いてみる、ぶつかってみるということです。

―その都度、人を通して課題解決の方法を学んできたと。

満井/もうひとつは、一生懸命やっていると、心配してくれる人が回りに現れてくるものです。「そんなやり方で大丈夫かね、満井君」と、ひとまわり上の40代、50代の経営者の方たちにずいぶん心配してもらいましたね。皆さんはすでに同じような課題を乗り越えているので、見ていて心配になったのでしょう。

―そういう出会いがあったのですね。

満井/そうです。今回海野さんから取材のお話を受けて、少し考えてみたんです。2006年に就職支援財団を立ち上げたのですが、その根っこはどこにあったんだろうと。それは、今度は自分が若い人たちを育てる役回りになった、そんな宿命のようなものを感じていたからだとわかりました。

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|若い世代にとって、働くことの意味や価値観は3度変化した

満井/もうひとつ、思い当たることがあります。会社を始めて10年ほどした頃に入社してきた社員の影響です。つまり、僕よりもひとまわりほど年齢が若い人たち。海野さんもそのひとりですが、僕は彼らにものすごく影響されています。

―どういうことですか。

満井/僕は1948年の戦後生まれですが、体質は古いんです。自分たちの親の世代は戦前、戦中世代で、この古い世代の影響を受けながら育ちました。高度経済成長の復興期を経て、社会に出るときには、世の中は重厚長大の時代。それを支えるだけの人もあふれていました。社会のためでも自分のためでもなくレールが敷かれていて、僕らの世代は否応なく社会に放り出されたわけです。仕事に就く時も考えている余裕はなく、与えられたものとして仕事に就いていきましたね。

―それは、振り返ってみて気づいたんですか。それとも当時から自覚的だったんですか?

満井/僕らの世代が共有していた感覚だと思いますよ。復興の時代は、みんな食べるために働いていた。生活のため、生きていくために働く、そんな感覚が色濃く残っていました。会社を始めて10年ほど経って、モラトリアムの時代という言葉が流行り始めた頃に、海野さんたちが入社してきました。自分とは違う新しい世代だと思いましたよ。この人たちが働くのは食うためではなく、確実に自分のためでした。海野さんが、というわけじゃないですよ。80年代に社会に出てきた若者たち、当時の新しい世代に共通の感覚でした。

―80年代の中頃ですね。当時は、日本全体がバブルに向かってお祭り騒ぎでした。

満井/そんな時代背景もあったのでしょうね。僕は、彼らの「自分のために働く」という感覚に驚いたんです。僕らの世代には、有無をいわさず働くことが善であり、遊ぶことは悪、という倫理観が残っていましたから。そこに「自分のために働く」という概念が生まれてきた。彼らは会社のために努力しないかというとそんなことはなく、自分が楽しめるならとことん頑張れる。そしてこれは、見方を変えれば、「自分が望むのであれば、働かない生き方を選択してもいい」という考えでもある。どちらにしても自分のために自分が選択する、これは驚きでしたね。すごい人たちがでてきたな、と。


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―同じ頃、自己実現という言葉もでてきました。

満井/そうです。そしてさらに10年ほど過ぎてバブルがはじけ、日本全体がマイナス成長の時代に入りました。すると、今度は個人のためではなく「社会のために働きたい」「社会に貢献したい」という尺度で仕事を捉える若者が現れてきたんです。

―確かにこのところ、新卒の面接でも「社会貢献したい」という学生は本当に多いですね。

満井/こうして振り返ってみると、若者たちの働く価値観は、大きく3回に分けて変わってきたわけです。「食べるため」という僕らの時代、「自分のため」という海野さんたちの時代、それから「社会のため」という今の若者たちの時代。バブルが崩壊し、日本は初めて不景気というものを経験しました。最初は企業が社会とどう向き合っていくのかを問われ、その次に若者たち自身が、社会と自分の関係を意識するようになった。そこから「社会のため」という価値観が共有されていったのでしょう。そして今は、ボランティアがビジネスになる時代になりました。

―その3回目の大きな転換点からも、すでに15年以上経過しました。東日本大震災を契機に、世の中の雰囲気が少し変化したという声もあります。若者の働く価値観にも、影響が出てきているのでしょうか。

満井/そうですね、今また新しい変化が起こりつつあるように思います。輪郭ははっきりしませんが、第4の転換期にさしかかりつつあるのではないでしょうか。当事者である若い人たちは、意識していないでしょうけれど。

|正しい広告、よりよい商品が、世の中をよくする

―ところで、2006年に就職支援財団を立ち上げています。いつ頃から考えていたのですか?

満井/2004年にアルバイトタイムスを辞めてからです。それからの2年間が準備期間でした。

―辞めてから、さて次はどうしようか、と考えられたのですか? それ以前から方向性は見えていたのですか?

満井/何が起点になって就職支援財団を立ち上げようと考えたのか、根っこのところは二つ理由があります。一つは、若い人たちの働く価値観の変化、もうひとつはずいぶん以前のことになりますが、全国求人情報誌協会の理事長だった8年間の経験です。これがなかったら財団はやっていませんね。

―その8年間にどんな気づきがあったのですか。

満井/全国求人情報誌協会の理事長時代に、求人情報誌という自分たちの商品が世の中のためになっているか、その問いを正面から突きつけられました。全国求人情報誌協会は業界団体ですから、大手から地方の中小企業までさまざまな会社が加盟しています。どれだけできたかは別にして、アルバイトタイムスは世の中のためを考えて事業を営んでいたつもりです。正しい広告を作ろう、読者に正確な情報を届けよう、と。協会としても、読者にとっていい商品を作ろうと本気で考えていました。でも、協会に加盟している会社に温度差があるように、加盟していない同業社まで含めると、その意識や実際の商品作りの基準はバラバラなわけです。ですからまずは、協会に加盟していない会社にも仲間に入っていただくように働きかけました。
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―業界全体で、社会にとってよりよい方向に舵を切っていこうと考えたのですね。

満井/世の中を変えるには、1社だけでは変えられませんから。それに、よい商品をつくれば、経営的にも必ずプラスになると信じて疑わない理事長でしたので(笑)。とにかく啓蒙しようと。

―最初から、そのような意識で理事長を引き受けられたのですか。

満井/就任したばかりの頃は、そんな意識はなかったですよ。途中から変わりました。きっかけは、1997年の「男女雇用機会均等法」全面改正です。法律を改正するにあたり業界団体の理事長という立場で、行政との折衝や法律改正の場面に立ち会いました。その時の体験が、本当に大きかった。行政は、利益誘導とも思える圧力をかけたり、規制をかけてきたりすることも学びました。この時、行政も民間もひとつになっての均等法改正に立ち会い、本当に世の中にとっていいものを作るということがどういうことか、よくわかりました。男女の職種別表示やハラスメントを禁止にしましたし、 結果としてリクルートさんの女性求人・転職情報誌『とらばーゆ』は、求人対象を「女性」から「男女」に変更せざるをえなくなりました。それから、企業活動は、単独ではなくチームとしてよくならない限り、世の中の課題を根本的には解決できない、社会認知ができないということも学びました。

―真剣に考えられていたんですね。

満井/そうですよ(笑)。

―そして、世の中にとって本当にいい商品であれば、事業性もあると信じていた。

満井/僕はそう信じてきました。話は戻りますが、自分の若い頃の考え方、海野さんたちの世代に刺激されたこと、最近の若い人たちの考え方という、若い世代の働き方の価値観の変化をみてきたこと、そして全国求人情報誌協会理事長時代の雇用機会均等法改正に立ち会った経験を通して、これからの世の中に本当に必要なことは若い人たちの支援だと確証し、就職支援財団を立ち上げたのです。

※続き(第2回)を読む

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Posted by eしずおかコラム at 2013年02月11日12:00 | 18.満井義政さん
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