今月の物語の主人公は・・・
パサージュ鷹匠オーナー・望月誠一朗(もちづき せいいちろう)さん
1958年静岡市生まれ。老舗染物屋の3代目。2010年に静岡市葵区鷹匠2丁目に、路地のあるテナントビル「パサージュ鷹匠」を建て、鷹匠2丁目のまちづくりを牽引するひとりとして活躍中。
◆「パサージュ鷹匠」ホームページ
◆Passage-TAKAJO パサージュ鷹匠
【ラジオ番組出演レポート】
◆「eしずおか探検隊」2013/10/7
◆「eしずおか放送室」2014/4/7
◆「eしずおか・まちぽ放送室」2015/10/5
※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史さんです。
※この記事は、全3回のインタビューのうちの3回目です。
≫1回目のインタビューはこちら
≫2回目のインタビューはこちら
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|生まれ育った地元を輝かせるために
-今までもいろいろなメディアで紹介されていました。
望月/そうですね。オープンする前から、有力なブロガーさんがブログに書いて応援してくれたり、テレビ局さんが番組で紹介してくれたりしてありがたかったです。
個人で、しかも麦わら帽子に長靴で、大漁旗を染めているような染物屋が始めたという、そのギャップがおもしろかったんだと思います。
-どんなお客さまが多いのですか。
望月/20代後半以上の女性です。敷居をあげたこともあって、いまでも「入りづらい」というお声をいただくこともあります。でもそのせいか、雑誌で紹介されているようなファッションをした若いカップルやご夫婦、娘さんとお母さん、といったお客さまが増えました。女性同士でも、きちんとした格好をされた方が多いです。
-地域のイメージアップにも貢献しているのですね。
望月/ここがオープンしてからお隣さんがリフォームされたのですが、以前はふつうの民家だった家を、わざわざパサージュ鷹匠と合う白いデザインに変えられました。
それだけではなく、入口にあるリビングルームでは英会話教室やフラダンス教室を開いて、地域のために人を集める取り組みを始めました。ここがきっかけになって地域に変化が生まれ、外に開かれ始めたと思うと、とてもうれしいです。
-生粋の鷹匠っ子の望月さんが、その強みを地域のために発揮できるようになってきたわけですね。
望月/ぼく自身がここで生まれ育ちましたから、地域の大家さんのこともよく知っていますし、このエリアがおもしろくなりそうな期待を感じています。少しずつですが、地域の魅力になってくれそうな新しいお店を引っぱってくる動きができるようになってきました。
|パサージュ鷹匠のいままでとこれから
-この6年間を振り返って、苦労したことはなんですか?
望月/プレッシャーです。この土地を売ってしまって、どこかで悠々と暮らすことは簡単です。でもその跡地に、この町に似つかわしくないものはできてほしくないのです。
望月/ぼくは、ここで生まれて、ここで育ちました。そして、これからもここに住んで、ここで死ぬ決意をしました。
その時に、パサージュ鷹匠が地域のみなさんに心から喜んでいただけるものになっていてほしい。そして、事業として継続できる状態になっていなければいけないと、本気でそう思っています。
-借入もされたのですか。
望月/当然です。資金計画を作って月々返済して、銀行さんにも相談しています。「道楽息子がやっていること」と思われることもありますが、それはないです。リスクを負って、きちんとやっています。
-紺徳さんの一事業なんですか。
望月/はい。うちは個人商店ですから、何を始めるかについての制約はありません。最初は駐車場経営やアパート経営など、いまにして思えば、消極的なアイデアの検討から始まりました。
なおかつ、自分がわくわくすることを始めたいという気持ちもあって、それらをひとつずつ検討して。最初からいきなりいまのようなビジョンは見えていなかったですし、ひとりでは無理なことでした。
望月/ぼくが幸せだったのは、小島社長や吉川社長、父親の知り合いのデザイナーさんなどに、このタイミングで奇跡的に出会えたこと。そしてここを気に入って入居してくれたテナントさんも含めて、人に恵まれたことです。
本当に多くの人に助けられました。偶然だったのですが、いまは必然だったと思っています。「パサージュ鷹匠」をやっていなければ、今日海野さんとお話をすることもなかったはずです。
-これから取り組んでいきたいと考えていることがあれば教えてください。
望月/建物というハードウェアが完成しましたので、その中に入るソフトウェアをバージョンアップさせていくことがこれからの仕事です。
入居するテナントさんによって、路地スペースなどの共有スペースの使い方、イベント、販売方法などもアイデア次第で変わります。それらによって「パサージュ鷹匠」のカラーも変わっていくはず。
|鷹匠エリアの街並みについて
-鷹匠っ子の望月さんの目に映っている鷹匠はどんなエリアですか。
望月/そうですね。まず、鷹匠にもいくつかの顔があります。鷹匠1丁目は新静岡センター(現新静岡セノバ)の商圏内で、その影響下にあります。「ロジタカ」のみなさんのように、プロのショップ経営者の方々が活躍している街。たとえば、シーリエールさんやシエロアスールさん、ブーケさん、ロッコウドウさんなどです。
望月/鷹匠3丁目は、日吉町駅から水落交差点の間のケヤキ通りの両側の商店街がメインの特徴になっています。
-では、2丁目は?
望月/鷹匠2丁目は、1丁目や3丁目と違って商店街がありません。大成高校や保育園や予備校などがある文教地区であり、いまでも「火の用心」の夜回りをしているような住宅街。その2丁目のイーストエンドに位置しているのが「パサージュ鷹匠」です。
2丁目には、お公家さん的なイメージのおっとりしている方が多く住んでいる印象があります。行政からは、2丁目は商店街も発展会もなく、顔のないエリアに見えているようで相手にされません。
望月/“御伝鷹(ミテタ)”という呼称もありますが、新聞記事などを見ると、そこで示されている地図は1丁目まで。2丁目は入っていないことが多いです。でも、最近の“ミテタバル”は、2丁目、3丁目の参加店が多くなっていて、ぼくはとてもうれしく思っています。個人で頑張っている、個性的なお店が多いことも、このエリアの魅力です。
|鷹匠の発展に期待すること
-これからの鷹匠2丁目はどんな街に?
望月/ぼく一人でできることは限られますし、みなさんそれぞれのイメージや思いを持っていると思います。ぼくは、ぼく自身の“こうあってほしい鷹匠”のイメージを、パサージュ鷹匠という場を使って実現していきたいです。
望月/それに共感してくれる方が、きっと現れてくると信じています。そのような人たちと一緒に、ハーモニーを奏でるようにひとつの楽曲を演奏できたら楽しいし、素晴らしいと思います。
-これからは「静岡の代官山」ではなく「鷹匠」独自の個性あふれる地域に育っていってほしいですね。
望月/共感してくれるご近所の大家さんも巻き込んで、一緒になってこの地域をこれまで以上に魅力のある場所にしていきたいと思います。まったく素人の染物屋が手づくりでやっているんですから、ほかの人はもっといろいろなことができるはず。ようやく動き始めたところです。大変ですが、いまは楽しくてたまりません。
-これからの鷹匠2丁目がどんなまちに発展していくのか、とても楽しみです。今日は、ありがとうございました。
◆パサージュ鷹匠オーナー・望月誠一朗さんへのインタビュー/完