今月の物語の主人公は・・・
平 野 斗 紀 子 さ ん
「インタビューノート」第1回目のゲストは、「日刊いーしず」で
<「たまらん」編集余話」>を連載中の平野斗紀子さん。地元新聞社に30数年勤務後、退社。新聞社時代は長く出版に携わり、情報誌の編集責任者のほか、数多くの地域出版を手がけてきた静岡では数少ないプロの編集者。
今回は、昨年11月に創刊した地域情報紙「たまらん」の編集発行人として、「たまらん」の発行にいたった経緯や、静岡の地元の人々にどんな情報を届けようと考えているのか、などについてお話を伺いました。
・平野斗紀子さんの
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連載コラム<「たまらん」編集余話>
撮影:森 奈保
(このインタビューは、7月27日にしずおかオンライン会議室で行われました)
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|100年に1度のタイミングがきっかけに
―こんにちは。お忙しそうですね。いまはどんなペースで仕事をされているのですか。
日常ですか?
―はい。
平日はアルバイトをやっていて、金・土・日曜日を「たまらん」の取材にあてています。
―それでは、休みがないじゃないですか。
そうですね。創刊時には月1回が目標でしたが、できあがったと思ったら、もう次号の取材をしなくてはいけなくて・・・。
今は、余韻さえも残らない状態です。
そんなこともあって、そろそろ隔月刊に固定しようかなと考えているところです。
―たしかに、ひとりで月刊紙を回していくのは大変ですよね。
でも、会社勤めで雑誌を作っていた頃は、スポンサーもいて、発行日も決まっているので、なにがあっても発行日を遅らせるわけにはいかなかった。いつも締切に追われて作り続けていたけど、今はそれがないだけでも幸せかもしれない。
―「たまらん」は2011年11月の創刊ですが、創刊を思い立ったのはいつ頃ですか?
自分が媒体を作るなら「たまらん」という名前にして、発行所の名前は「TAMARA Press」にしようかなと、そう、ぼんやり考え始めたのが2011年の春頃かな。で、「よし、新聞を作ろう」と決めたのは発行の1ヶ月前でした。
―えっ、1ヶ月ですか。それはまた急ですね。
創刊前月の10月に友人のいるフランクフルトに行ってきたんですが、ちょうどその旅行の準備をしている頃に気持ちが固まりました。
―きっかけはなんですか?
わたしの母親は、女学生だった頃に亡くなった祖父のことが大好きだったんです。その祖父の名前は、藤一(とういち)というんです。母にとって“とういち”は十一であって、十一という数字は母親の守り神だった。そんな母の影響もあって、わたしにとっても十一という数字は特別な数字なんです。
でも最近は、3.11とか9.11とか、あまりいい場面では使われていないなぁ、なんて、ぼんやりと考えていた時に、“(20)11年11月11日(11.11.11)”って100年に1度しかめぐってこない、と突然気づいたんです。「これは、いまやるしかない」と。
―たしかに、ゾロ目が3つも並ぶ年は100年に1回だ。
フランクフルトから帰ってきたのが10月10日。11月11日までの1ヶ月で創刊できるかな、と当然不安もあったんですが「とにかく(100年に1度の)このタイミングで出すしかない」、そう自分の気持ちをもっていきました。
―きっかけはなんであれ、何かを始めるのにタイミングは大切です。
「(時間をかけて)もっといいものを作ろう」なんて思い始めたら、それが言い訳になって、ズルズルと時間だけが過ぎてしまうじゃないですか。「たまらん」は、誰かに強制されて作るわけでもありませんし。だから思い立ったらやるしかない、11月11日に出すしかない、と自分自身に思い込ませて創刊にいたったわけです。
|作り手は、もっと内容に責任を持たなきゃいけない
―平野さんは編集のプロだから、1ヶ月という限られた時間で形にできたということもあるでしょうね。
それはあるかもしれないです。それまでも、自分には活字媒体が一番向いているな・・・とか、媒体を作るならちゃんと発行し続けられるものにしたい、という気持ちはずっと持っていたんです。でも、やるなら趣味としてではなく、プロらしい媒体を作りたいと。だから、すぐには実現できないだろうとも思っていた。
―雑誌を創刊するには、時間もお金もかかりますからね。
そう思います。
―「やるなら、ちゃんとしたものをだしたい」というお話ですが、平野さんにとっての「ちゃんとした」とは?
私的に自分の好きな物を並べるのでなく、今の時代や次の時代に何が必要かを考えて客観的な視点でとりあげること。それらを、きちんとメッセージしていくことが大切なんじゃないかと思います。それに、読者が何を必要としているかをきちんと考えて、読者に届く言葉で伝えることでしょうか。媒体は、利用してくれる読者のためのもの、ということを意識して作ることも大切です。
―うっかりすると、自分の思いだけを語っていることがありますね。
この取材(「インタビューノート」)はウェブ媒体なので恐縮ですが、ウェブ全盛の時代になって感じるのは、自己主張ばかりが目立つこと。それに、いまこの瞬間の喜怒哀楽や心理状態、好き嫌いばかりがあふれているように思います。
食べ物の話ひとつとっても「いま、おいしい」と思った料理でも、明日になってみたら「たいしたことなかったね」なんてことはよくあること。活字の場合は、印刷して読者の手に届くまでに1ヶ月、2ヶ月とかかることもあるわけで・・・。
記事を書いている時には、読者が読んでくれる1ヶ月先のことを想像して書くことが求められます。だから、時間が経っても読むに耐えられる内容にしなくちゃいけないし、推敲することが仕事。そんな意識を常に持つようにしています。
―書き手や編集者は、読み手が記事と出合う場面を想像してその時間に耐えられる内容で届けることが大切ということですね。
人様に読んでもらうものを作る人って、そのくらい内容に責任を持たなきゃいけないと思う。わたしが次の世代に伝えられることがあるとすれば、そういうことかな。
|地域文化を掘り起こすことが「たまらん」の役割
―「たまらん」の編集方針を教えていただけますか。
小さいけれど個性的に仕事をしている人たちを、同じ地域に暮らす人たちに知ってもらいたい。新聞社に勤めていた時に県内のいろいろな方を取材させていただいたのですが、素晴らしい仕事をしている農業の担い手や職人さんたちにたくさん出会いました。そんな農家や職人さんを、同じ地域に暮らす人たちに伝えていきたいと思っています。
―「たまらん」を読んでほしい読者はどんな方ですか?
子育て世代ですね。子育て世代が、農業や食に一番関心をもっています。彼らに、地元で頑張っている若い農家さんの話や、彼らが取り組んでいる農業の価値を伝えていきたい。マルシェや朝市の情報、自然の中で親子で遊べる地域の紹介、中山間地のコーナーを創刊当初から作ろうと考えたのも、子育て世代を読者として意識していたからです。
―頑張っている農家と消費者をつなげる役割を担おうと。
農業青年は、好青年が多いんです(笑)。
その好青年たちを消費者である子育て世代のお母さんたちに紹介したかった。どうすればお互いが出会えるか・・・、そこで考えたのがマルシェです。農業青年が売り子になって、自分の作った作物をお母さんたちに直接売ればいいと。
でも、実際は農業青年たちは想像以上に忙しかった。平日に農業をやって、土日にマルシェにでてもらえればと思ったのですが、彼らは自分の仕事だけでなく地域の活動に参加することが多くて、日曜も休めないんです。でも、いつか農業青年たちがマルシェに参加できるようにしていきたいと、今も考えています。
―そこは課題なんですね。
もうひとつ、新聞社時代に実感したことですが、静岡市はコンパクトにまとまっている商業都市として、全国的にみても恵まれていると実感しました。市外の人も、静岡市なら買い物に出かけてもいいといいますし、買い物のついでにおいしいものを食べて帰ろう、という人も多い。でもそのことを、静岡市民が一番知らないんじゃないかな。「たまらん」をきっかけに、その恵まれた状況を静岡市の人に自覚してほしいという気持ちもあります。
―「たまらん」がとりあげる地域は、静岡市ですね。
そうですね、静岡市に限定したことは本当によかったと思っています。第一に、わたし自身が一静岡市民として本気でこの街をよくしたいと思っていますから(笑)。
商店街のネタと農山村のネタを一緒に取り上げるのも、商店が潤えば、地元の食材もそのお店で売ってもらえるんじゃないかと思ってのことですし、そうなれば農業も潤うはず。商店街と農山村が連携するきっかけをつくりたいんです。
―6号まで続けてきて、手応えはありますか。
第4号で浅間神社廿日会祭を取り上げたのですが、その時に、三度の飯よりもお祭り好きという方たちにお話を聞く機会がありました。ご本人たちは、純粋に祭りが好きだから毎年一生懸命にやっているんです。あまりにローカルな小さな祭りということで、メディアに取り上げられることもこれまでなかったらしい。それが「たまらん」の取材で歴史や文化的なお話を聞く中で、祭りの担い手たちも、祭りは自分たちのためだけでなく、この街にとっても価値があったんだと気づくきっかけになったようです。
自分たちの街の歴史を知り、代々受け継がれてきたことを子供たちに伝える。自分たちの役割に価値を感じて、地域に誇りをもつきっかけになったようです。それから、これはわたしの実感ですが、地域に誇りをもてるとみんな幸せな顔になる。
―なるほど。
本当です。それが人間にとって一番幸せなことかもしれないと思うようになりました。
それに、取材を受けてくれる方がみんな喜んでくれることがうれしい。今では「たまらん」はそんな地域で頑張っている人たちのためにある、地域文化を掘り起こすことがわたしの役割かもしれない、そう思っています。
|いつか、「たまらん」の文庫を
―「たまらん」を始めてから再発見した静岡市の魅力はありますか。
山間地の美しさですね。なかでも茶畑のある風景は気品があります。
新聞社時代にも取材ででかけていましたが、当時よりも今の方が美しくなっている。限界集落なんていうと暗いイメージがありますが、安倍川筋あたりは、以前より明るくなっている。静岡市の山間地の美しさは、もっと紹介すべきだと確信しました。
―茶畑には気品がありますか。
あります。きれいなお茶畑がある山間の風景には、単に風光明媚というのではなく品格があります。
なかでも清水の両河内、西河内あたりの風景は本当に美しい、まぁ、わたしが勝手にそう思っているのですが。川根あたりの風景にも気品を感じます。
―これから「たまらん」で取り組みたいことはありますか。
地域のいろいろな専門家に参加していただいて「この人が薦めるおススメ」というように、信頼できる人のセレクトした情報を紹介していきたい。朝市情報なども、有機農法だけでなく丹誠込めて農作物を作っている農業青年などの作り手と八百屋さんやスーパーマーケットなどの売り手などを登場させて、その人たちの情報として「いまこんな作物がおいしい」というように。創刊1周年にあたる11月発行号あたりで実現してみたいと思っています。
―情報のセレクトを誰にお願いするかが「たまらん」らしさになりますね。11月の「たまらん」が楽しみです。
もうひとつ、これはいつになるかわかりませんが、いつか「たまらん文庫」を作りたい。わたしはもともと本の編集をしていたので、コツコツ作るのが好きなんです。わたし自身も職人タイプなのかもしれないです。
―編集職人の平野さんが作る「たまらん文庫」は、わたしもぜひ読んでみたいです。
今日はありがとうございました。