今月の物語の主人公は・・・
フリーライター・しずおか地酒研究会主宰 鈴木真弓 さん
静岡の食文化の現場を取材しはじめた約25年前、偶然にも地元静岡の酒造りに情熱を傾ける人々と出会った鈴木さん。静岡が「吟醸王国」として全国的に知られるようになっていく変遷を追い続けてきた鈴木さんに、静岡のお酒の魅力について語っていただいた。
◆プロフィール 鈴木真弓(すずきまゆみ)さん
フリーライター。しずおか地酒研究会主宰。静岡市出身・在住。地域の酒・食・歴史・モノづくり文化を追求し取材歴30年弱。2008年からドキュメンタリー映画『吟醸王国しずおか』を自主制作中。
※この記事は、全3回のうちの1回目です。
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◆日刊いーしず 「杯は眠らない」
◆鈴木さんブログ「杯が乾くまで」
http://mayumi-s-jizake.blogzine.jp
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|きっかけは、昼間から酒を飲み比べる怪しいおじさんたちでした。
―2013年1月18日から、いよいよ【日刊いーしず】で鈴木真弓さんの連載コラム「杯は眠らない」が始まります。静岡の地酒に詳しい鈴木さんのコラムが今から楽しみ。今日は、そのあたりについてもお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。
鈴木/こちらこそ、よろしくお願いします。
―1月は酒造りの大切な時期ですね。蔵元ではどんな工程がされているのでしょう?
鈴木/一番寒い季節ですから、吟醸酒の仕込みで忙しい時期だと思います。
―今年の新酒の出来が気になりますね。ところで、鈴木さんと静岡の地酒のつきあいは随分長いと思いますが、今年で何年ですか?
鈴木/静岡の地酒と出会ってから、もう少しで25年になります。
―四半世紀ですか。そもそも静岡の地酒との出会いは?
鈴木/20代半ば、雑誌ライターの仕事を始めて2年目の頃です。静岡新聞社さんから『ぐるぐるマップ』というタウン誌が創刊されたばかりで、わたしはその編集部に在籍していました。あるとき、飲食店さんでの取材中に、店の奥で怪しげなおじさんたちが昼間からラベルの貼ってないお酒を並べて飲んでいる現場に出くわしたんです。
―昼間からおじさんたちが集まってお酒を…。
鈴木/そうです。実は、蔵元さんや酵母の研究者のみなさんが唎(き)き酒をしていたのです。何も知らなかったわたしは、興味本位で「何をやっているんですか?」と声をかけました。おじさんから「あなたもこのお酒を飲んでみなさい」と奨められるままに飲んでみたところ、そのお酒はそれまでわたしが飲んだことのある日本酒のイメージとはまったく違う味でした。初めての吟醸酒体験だったのですが、スッキリとしてキレのある味に本当にびっくりしました。それが静岡の地酒との最初の出会いです。本当に偶然でした。
そのお店は当時としては地酒の取り扱いも多く、後になって知ったのですが、酒造関係者が出入りしていたお店でした。私が出会ったおじさんたちは、「開運」の蔵元・土井酒造場の土井社長や静岡酵母を開発した県工業技術センターの河村伝兵衛先生など、そうそうたるメンバーだったのです。
―静岡の酒造りの中心にいる方々といきなり出会ってしまったわけだ、それはすごい。その時は、これほど長いつき合いになるとは思っていなかったでしょう?
鈴木/そうですね、まったく予想もしていなかったですね。
|美酒との出会いにより、日本酒の世界に開眼。
―その出会いがきっかけとなり、静岡の地酒と20年以上も続く関係に育っていく。
鈴木/当時、その飲食店のご主人とは懇意にさせていただいていました。店に置いてあった志太泉というお酒をいただいた時に、そのキレのいい味が、おじさんたちが飲んでいたお酒に通じるものがあるなあと思いました。ラベルを見ると志太泉も静岡のお酒だった。当時、タウン誌の仕事では飲食店の取材が多かったこともあり、お酒の銘柄の一つや二つは覚えないといけないだろうし、日本酒の知識を知っておけばライターとして仕事の幅も広がるかなあと。そんな思いもあって、次第に静岡の地酒に関心を持つようになっていきました。
―編集やライターの仕事を生業とするうえで、自分の得意分野を深めていくことは大切。ライターとしては駆け出しで、何にでも興味を持てたということもあったと思いますが、いろいろな出会いがある中で静岡の地酒には何か感じるものもあったのでしょうね。
鈴木/見聞を広めたいという思いと、最初に飲んだお酒が鑑評会に出品するような、すごいお酒だったこともあって……、とにかく最初の出会いが大きかったと思います。
―当時は、日本酒イコール“ワンカップ”のイメージがまだ残っていませんでしたか。日本酒好きは、ただの酒飲み、みたいな。
鈴木/わたしの日本酒に対するイメージも、まったくその通りでした。ところが、ワンカップとは違う日本酒の世界があることを知って。そんなことがあってから、お酒の集まりなどがあると声をかけてもらえるようになりました。ある時、河村伝兵衛先生が焼津の酒蔵で見学者に静岡の地酒について語る機会があると知り、飛び入り参加させてもらったのです。
―それはいつ頃のこと?
鈴木/昭和から平成に切り替わった頃です。焼津の酒蔵というのは今をときめく磯自慢酒造です。当時の磯自慢さんは寺岡酒造場といって、現在の近代的な蔵ではなくレンガの煙突と瓦屋根の古い建物でした。その時には、長年、磯自慢を支えてきた志太杜氏の横山福司さんにもお会いしました。その横山さんが今年でもう辞めるという年だったと思います。
でかけてみると、東京の有名な地酒専門店がお客さんを連れて大型観光バスで磯自慢に蔵見学に来ていて、「東京からこんなに多くの観光客を連れてくる力がこの小さな蔵にあるなんてすごいなあ」と驚きました。
平成元年2月、初めて訪ねた酒蔵・寺岡酒造場(現磯自慢酒造)。
右端が鈴木さん。その隣が志太杜氏の横山福司さん
―地元で評価される以前に、東京のコアな日本酒ファンが静岡の地酒に注目した。
鈴木/その見学会ではこんな一幕もあったんです。河村先生がその地酒専門店の会報誌で紹介されたご自身の記事に対して怒り始めたんです。先生の隣で話を聞いていたわたしはそこでもびっくり。わたし自身も書く仕事をはじめたばかりの頃でしたから、インタビューを記事にして人の思いを伝えることはなんて難しい仕事なんだ、一つ表現を間違えたらとんでもないことになると、肝に銘じた体験でもありました。
|全国の酒どころを抑え、静岡の日本酒が躍進。
―その頃は、すでに静岡のお酒はブレークしていたのですか?
鈴木/静岡のお酒が注目されるきっかけは、昭和61年の全国新酒鑑評会で金賞10個、銀賞7個を獲得したことです。入賞率87%。全国の名だたる酒どころを抑えて静岡のお酒が入賞率日本一に輝き、ここから「吟醸王国しずおか」の躍進が始まりました。徐々にメディアで取り上げられたり、蔵の視察が増え、静岡のお酒を扱う取引先も拡大していき、全国で静岡のお酒の評判が高まっていくようになっていきました。でもそれはまだ業界内のことで、一般の方には知られていなかったと思います。
2012年の全国新酒鑑評会で入賞した静岡県のお酒(一部)
―酒どころと言えば新潟や秋田、山形などの、寒冷地で米の産地というイメージがありましたから、温暖な静岡のお酒が評価されるというのは、ちょっとした驚きだったでしょうね。
鈴木/そうですね、いまでもおいしい日本酒は新潟や秋田産というイメージが一般的だと思います。当時は「静岡で日本酒が造れるの?」というレベルの認知度だったと思います。
―静岡のお酒が全国で注目され始めた同じ頃、鈴木さんのライターとしての活躍も始まったわけですね。それもまた素晴らしい偶然。
鈴木/そうなりますね。24歳からライター業をはじめて二年目、まさにライター修業のころでした。わたし自身が乾いたスポンジ状態でしたから、すべてがいい経験だと思って、何事も無我夢中で吸収し、取り組んでいた頃です。
※この記事は、全3回のうちの1回目です。
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