今回の主人公は・・・
砂田麻美(すなだ まみ)さん
ガン宣告を受けた父親の半年間にわたる“終活”記録。娘としての自分と、監督としての自分の二つの視点で描かれた心温まるドキュメンタリー映画『エンディングノート』。監督デビュー作となる本作品の監督砂田麻美さんに、映画について、そして近しい人の「死」や家族について、お話をお伺いしました。
※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史です。
※この記事は、全3回のインタビューのうちの2回目です。
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※写真撮影:森島吉直
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第2回 『生きて、やがてこの世から消える姿』
海野/『エンディングノート』というタイトルは、砂田監督のネーミングですか?
砂田/そうです。
海野/『エンディングノート』とは、人生の最期をどのように迎えたいか、という思いを家族や友人に伝えるためのものですね。「家族の死の迎え方」が、この映画のテーマと捉えていいですか?
砂田/いいえ。「終活」とか、「死を迎える準備が大事」などが、クローズアップされがちなんですが、わたし自身はそれは二次的なものだと考えています。たまたまわたしの父が「段取り」好きだったので、本人の持つたくさんの個性のうちのひとつとして、演出する際に取り上げたに過ぎません。
海野/映画の進行にもなっている「ToDoリスト」は?
砂田/映画の中で出てくる「ToDoリスト」を父が作ったとものと思われる方も多いのですが、あれもわたしが考えたもの。父が書いたものは、最後に読み上げる「エンディングノート」の中身だけなんです。その中身も、仕事の引き継ぎリストのような、残された人が困らないようにするための事務的な内容でした。銀行の口座だとか…ですね。「わたしはああしたい。死後はこうして欲しい…」ということは、何も書かれてはいないんです。ドキュメンタリーは登場する人が役者さんではないので、そこで語られていることは100%真実と捉えられがちなんですが…。
海野/観る側はドキュメンタリーの中身は真実で、描かれていることをそのまま信じてしまいがちです。 「死を迎える準備」がやっぱり大切なんだ…みたいに。
砂田/わたしが描きたかったのは、そういう「段取り」ということではなくて、人の「死」はそこで途切れるものではないという感覚。それに、一人の人間がこの世の中から去っていく姿を自分がつぶさに見た時に、父親という存在を超えて、人間として普遍的に 「死」をとらえた瞬間があったんです。とくに最後の時に…。その時の感覚は、日常生活では感じたことのないほど強いものだったし、映像を撮り始めた頃には想像できなかったものでした。だからそれを、父の死後編集によって、ひとつのカタチにしたいという想いが強かった。
海野/あるインタビューで砂田さんは「生と死は対極にあるものではなくて、一本の線で繋がっているもの」とも答えていました。 「死をとらえた瞬間」というものを、もう少し具体的な言葉でお話ししていただけますか?
砂田 …なんといえばいいんでしょうね。一生懸命に考えたときもあったんですけど…。…言葉では表現できないから映像にしたんです(笑)。
海野/ なるほど(笑)。
砂田/なぜ死者というものは尊い存在なのか。亡くなった方を人が大事にする感覚は、だれかに教えられなくても多くの人の中に備わっているものだと思うんですね。それがなぜなのかということを思った。死ぬということは、やっぱり大変なこと。この映画の主役は父でしたが、描きたかったのは、あらゆる人の生きて、やがてこの世から消える姿そのものだった。
海野/映画の中では、お父さんとお孫さんが同じ時間を過ごすシーンや、お孫さんの誕生シーンも描かれていますね。それが、人の「死」と「生」が一本の線でつながるイメージですか。
砂田/孫がたくさん映画に出てくるので、「つながる」ということを人の命のことだけで受けとめられる方もいるかもしれませんが、そういうことではないと思います。家族でも他人でも、他者との関わりの中で引き継がれるものがあると思う。どちらかというと、亡くなった方の存在からから学ぶこと、受け継がれること、といったほうが近いかもしれません。
海野/記憶の中にも引き継がれるものがある?
砂田/亡くなった方との記憶も引き継がれるものの一つだと思います。それが良好な関係であっても、なくても。その人と関わったことが確実に引き継がれている。もしかしたら、人ではなくカタチの中に引き継がれるものもあるかもしれない。たとえば、わたしたちが京都に行った時に何かを感じますよね。それは、数百年も前にそこで生きた人たちから、私たちに引き継がれているものだと思います。引き継がれるものとは、これまで生きた人の証なのかもしれません。
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