今月の物語の主人公は・・・
シズオカオーケストラ・井上泉(いのうえいずみ)さん
静岡生まれ。静岡育ち。
2010年より、"静岡"をテーマに様々な人が集う「グリーンドリンクス静岡」を主宰。七間町の映画館閉館イベント「LIVE TODAY」や、シズオカ×カンヌウィークのオープニング・クロージングイベントなどを開催。2013年からは、ドキュメンタリー映画「ちいさな、あかり」のプロモーション協力、ふじのくに⇄せかい演劇祭関連企画、マルシェの運営など、まちに関わる活動を継続している。2014年春、プロジェクト「シズオカオーケストラ」を企画。
◆ウェブマガジン「シズオカオーケストラ」
※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史さんです。
※この記事は、全5回のインタビューのうちの1回目です。
≫インタビュー2回目はこちら
≫インタビュー3回目はこちら
≫インタビュー4回目はこちら
≫インタビュー5回目はこちら
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|「いつか静岡に帰ってこよう」と、心に決めていました。
-こんにちは。今日は、井上さんのご実家でもあるお寺をインタビュー場所としてお借りしました。リクエストに応えていただき、ありがとうございます。
井上/緊張しますね~(笑)。
-井上さんは、インタビューに慣れているでしょう?
井上/いえ、いえ…。されるよりも、する側の方が多いですよ。グリーンドリンクスではいつもホスト役ですので。
-そうでしたか。今日は、井上さんが、何をやろうとしているのか、どこを目指しているのか、についてお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。
このお寺が、井上さんの原点なのですね。
井上/そうです。高校を卒業するまで、ここで暮らしました。
-その後、東京へ?
井上/はい。大学で東京に出て、卒業の時に連れ戻されました(笑)。
-連れ戻された…。本当は、戻ってきたくなかった?
井上/はい。東京で就職したかった(笑)。でも、親に負けて、地元のテレビ局に就職しました。でも、どうしても東京で働いてみたいという気持ちが抑えられなくて…。結局、20代の半ばに無理やり東京へ戻りました。
-そうでしたか。東京では、どんな仕事を?
井上/CSチャンネルの会社で、放送進行をしていました。静岡のテレビ局でも、同じ仕事をしていたのです。
-仕事は、おもしろかった?
井上/おもしろかったですよ。周りも素敵な方ばかりでした。でも、犯罪専門チャンネルの担当になってしまって。毎日毎日、犯罪番組を見ているうちに…、病みました(笑)。
-それで、静岡に帰ってきた?
井上/実は、大学を卒業して、あらためてこの町に暮らしてみて「やっぱり静岡っていいな」という気持ちにはなっていたのです。ですから、東京に出る時にはすでに「いつか静岡に帰ってこよう」と、心に決めていました。
-そうだったんですか。
井上/念願の東京での仕事も経験できたし、東京では結婚もして。それで帰ってきました。
|働くこととやりたいことを両立しながら地域の活動を。
-今回、井上さんにお話を聞くにあたって、『いま、地方で生きるということ』(ミシマ社)という働き方研究家の西村佳哲さんの本を読み返してみたんです。最初にこの本を読んだ時に、ここで紹介されている人たちが、どこか井上さんに似ているように思えて。
井上/そうですか。
-この本で紹介されているのは、宮城県で自然学校のスタッフとして活躍している人や、秋田県でフリーのデザイナーを職業としながら、地元商店街の点と点を結ぶ「日曜はしご市」というイベントを企画している女性、南三陸の女川原発ちかくで接骨院を開業しながら地元の若手農家たちと「農MUSIC 農LIFE」というイベントを開催している人など、東北や九州などの「地元」で職業プラスαの地域活動をしている方たちです。
井上/ええ。
-彼らと井上さんのどこが似ているのかと意識しながら、もう一度読み返してみたのですが、いずれも30代なのに、地元の将来を自分のことのように真剣に考えていて、しかもその活動が地に足がついている感じがして…。ご自分がいちばん楽しんでいる印象も似ている。ぼくは、井上さんにも同じイメージを持っていたのです。
井上/ありがとうございます。
-井上さんも、同じ世代ですよね?
井上/はい、同世代です。いま32歳です。
-東京などの都市部で暮らした経験のある人たちが、いま地元に戻って、働くこととやりたいことを両立しながら地域の活動に取り組んでいる。全国で、そのような若い人たちが生まれているようです。ぼくの中では、井上さんもその中のひとりです。
井上/ふふふふ…(笑)。
-彼らは、東京のモノサシで地元を評価するのではなくて、自分の暮らす町の魅力を計るモノサシも、自分たちで見つけようとしているように思えます。そんなところも井上さんに通じるかな。
井上/うれしいですね。
-これまでの地方の活性化策といえば、どちらかといえば東京と比較して足りないところを見つけて、そこを補おうとする活動でした。人的にも、物質的にも、東京に近づくことが目標になっていた。でも、もう、そういう時代じゃなくなった。
井上/はい、そうですね。
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