今月の物語の主人公は・・・
株式会社玉川きこり社代表取締役・原田さやか(はらだ さやか)さん
愛知県豊橋市生まれ。大学入学を機に静岡へ。仕事を通じて玉川のおばあちゃんと出会い、静岡市の山村〝玉川〟を知る。2008年に「安倍奥の会」を立ち上げ、安倍奥・玉川の魅力を伝えるとともに、2014年3月には玉川地区に移住し、株式会社玉川きこり社を設立。代表取締役就任。「きこりと子育て」を事業テーマに活躍中。
◆玉川きこり社(HP)
◆玉川きこり社 blog
※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史です。
※この記事は、全6回のインタビューのうちの1回目です。
≫第2回 玉川のおばあちゃんのおもてなし
≫第3回 絵空ごとだった事業計画
≫第4回 目指せ、日本一みんなで子どもを育てる村
≫第5回 玉川で何か始めたい!
≫第6回 地元の人たちと一緒に子育てしやすい玉川に
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40年ほど前は約3,000人だった人口が、現在1,000人未満となってしまった安倍奥の中山間地・玉川地区(静岡市葵区)。過疎化と高齢化がすすむ玉川地区に、最近、この地で何かを始めたいと希望する若者が増えています。若い女性が運営するカフェや静岡初のウイスキー蒸留所が誕生。そのような変化が起きることが想像できなかった3年前に玉川地区に移住し、林業と子育てがテーマの「玉川きこり社」を立ち上げた原田さやかさん。築80年を超え、薪ストーブのある民家を利用した原田さんの事務所を訪ね、この3年間の玉川地区の様子や「玉川きこり社」の取り組みついてお話をお聞きしました。
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|第1回 それほど山の暮らしが合っていた。
- 海野
- はじめてお会いした時のことを覚えていますか?今から7、8年前だったと思いますが、両替町の小さなバーで紹介していただいたんです。
- 原田
- 覚えていますよ。「アウラ」でしたね。友人と一緒に飲んでいた時だったと思います。
- 海野
- 原田さんはカウンターで飲んでいて。名刺交換して、少しお話をした後に「これから仕事なんです」といって会社に戻って行きました。その後ろ姿を見送りながら、しっかりした佇まいの人だな、と思ったことを覚えています。
- 原田
- そうでしたか。そのあとも、いろいろな場所でお会いする機会はありましたよね。でも、きちんとお話しするのは今日がはじめてですよね。
- 海野
- そうです。楽しみにしていました。
- 原田
- ありがとうございます。
- 海野
- ところで「玉川きこり社」は何人でスタートしたのですか。
- 原田
- 常勤は、わたしと、もう1人の役員の繁田の2人です。そのほかに役員が2人。
- 海野
- きこりは何人いるんですか。
- 原田
- 2人です。一緒に会社を立ち上げた繁田と矢野くん。
- 海野
- 矢野くんは、東京から移住してきたという若者?
- 原田
- そうです。矢野くんは、ここに来る前は東京で不動産会社に勤務していました。
- 海野
- 静岡市の人口がひとり増えたわけだ。玉川きこり社は、もう立派に成果を出している。
- 原田
- (笑)
- 海野
- ところで、玉川に3年暮らしてみて、どうでしたか?
- 原田
- 山の暮らしは本当に最高です!毎日、季節を肌で感じながら仕事ができるのがうれしい。この事務所は、築80年ほどの物件です。6年ほど空き家になっていたところを、大家さんに交渉して運よく借りることができました。この場所は日当たりもいいし、(事務所の窓を示しながら)目の前に、こんなすてきな風景が広がっているんです。
- 海野
- ぜいたくな景色ですよね。
- 原田
- そうです。でも、会社の実態はたいへんでした。いまは少し余裕が出てきましたが、1年目は、本当に苦しかったです。創業当時は会社に寝泊まりしていて、1日中ずっと仕事という生活でした。半年間は休みもなくて、仕事以外の時間はただ寝るだけの生活。しかも、私も繁田も無給で。
- 海野
- そうだったんですか。
- 原田
- そんな毎日だったんですが、この風景に癒されて。忙しいけどゆとりをもらえるというか、ホッとできる。ここは、そういう働き方ができる場所なんです。
- 海野
- ちょっと羨ましいですね。
- 原田
- ここにきてからは、街で働いていた時以上に仕事中心の生活だったんですが、それでもわたしは山の暮らしが気に入って。「また街に戻りたい」という気持ちにはなりませんでした。それほど、わたしには山の暮らしが合っていました。