48.華道家・辻雄貴空間研究所/辻雄貴氏(1)

2018年08月29日12:00
今月の物語の主人公は・・・
辻雄貴空間研究所代表・辻雄貴(つじゆうき)さん

48.華道家・辻雄貴空間研究所/辻雄貴氏(1)
 1983年 静岡県富士市出身。工学院大学大学院 工学研究科建築学修了。同大学在学中にいけばなと出会い、いけばな作家・竹中麗湖氏に師事。建築という土台の上に「いけばな」を展開することで、建築デザイン、舞台美術、プロダクトデザインなどの、既存の枠組みを超えた独自の空間芸術を演出している。芸能とものづくりの神の名を冠した「シャクジ能」では、移動舞台のデザイン・基本設計や舞台美術などを手がけるディレクターとしても活躍。2013年、フランスにて「世阿弥生誕650年 観阿弥生誕680年記念 フェール城能公演」の舞台美術を手掛ける。2015年「シズオカ×カンヌ×映画祭」のアーティスティックディレクターに就任。2016年、ニューヨーク・カーネギーホール主催公演では、いけばなを披露。カーネギー初の華道家公演となる。2017年、スペイン フェリペ6世国王夫妻来日時に、天皇皇后両陛下ご臨席のもと、浮月楼「月光の間」にて献花・室礼をおこなう。辻雄貴空間研究所代表。

辻雄貴空間研究所ホームページ


※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史です。
※この記事は、全4回のインタビューのうちの1回目です。
≫第2回 声がかかることは、すべてチャンスに!
≫第3回 20代のガムシャラな時代が財産に
≫第4回 いけばなと能楽を融合するパフォーミングアーツに挑戦

・・・・・・・・・・・・・・・
 「建築」と「いけばな」の間にある“室礼(しつらい)”の美学を追求する華道家の辻雄貴さん。スペインの建築家・ガウディに憧れて建築の道に進み、現在は、華道家として、建築デザイン・舞台美術・プロダクトデザインなど、幅広い領域で活躍しています。最近では能楽師・大倉流大鼓方 大倉慶乃助氏とともに、日本古来の芸能と、ものづくりの神の名を冠した「シャクジ能」を旗揚げ。伝統芸能の新しいかたちを提案しています。「建築」と「いけばな」の間で、華道家として空間に命を与える活動をしている辻雄貴さんに、今日までの道のりと、いま取り組んでいることについてお話をお聞きしました。
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|第1回 竹中麗湖先生の「それはおもしろいから、やるといい!」

海野
今日はよろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いします。

海野
辻さんは、大学では建築を学び、その後、いけばな、舞台美術、そしてシャクジ能の企画を手がけるなど、いろいろな活動をされていますね。

スタートは建築です。日本のガウディになることを夢見て、大学で建築を学びました。いけばなには、学生時代に日本の建築を学ぶ過程で出会って、現在は、華道家として活動しています。建築といけばなの考え方の間にある”室礼(しつらい)”の美学を追求して、空間に命を与える、それが僕の考える華道家です。

48.華道家・辻雄貴空間研究所/辻雄貴氏(1)

海野
実家は、代々の理容室だったそうですが、そのような環境から、どうして建築の道に進もうと思ったのですか?

父親が理容師で、母親は料理教室をやっていました。その母が、美術やアートが好きだったんです。家の中には、ガウディの「サグラダファミリア」の写真や絵が飾ってあって、こども心に自分の進む道は建築かな、と思っていました。小さな頃から自然とそう考えるようになっていました。

海野
それで、大学は建築学部へ。

はい。当時は、ガウディに憧れていて「日本のガウディになりたい」と思っていましたから。ところが、僕が入った大学で教える建築は、コルビュジェやフランク・ロイド・ライトなどのモダニズム建築が主流だったんです。

海野
機能的・合理的なモダニズム建築とアール・ヌーボー的なデザインのガウディの建築は違いますね。

そうなんです。憧れたスペイン人のガウディは、自然の造形を「石」を使って形にしましたが、日本人にとっての「石」は「木」じゃないかと考えました。それで、次第に京都や奈良の木造の日本建築に興味が惹かれていきました。

海野
そうだったんですね。

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作品の素材として収集された流木

京都でいろいろな建築を見る中で、作庭家の重森三玲さんの手がけた枯山水の庭に出会いました。そこに、ガウディのような活き活きとした力強さを感じたんです。

海野
重森三玲といえば、いけばなや茶道にも影響を受けた昭和初期の作庭家ですね。

はい。それから重森三玲さんを調べ、重森さんが勅使河原蒼風さんたちとともに提唱した「新興いけばな宣言」を知ったんです。これは、いけばなの革新を訴えた運動なんですが、僕は、いけばなの手法を建築に取り入れたらおもしろいんじゃないかと思いました。それがきっかけで、いけばなの教室に通いはじめたんです。

海野
僕の知り合いでも、建築家で茶道をたしなむ人はいますが、辻さんはいけばなに惹かれたんですね。それは大学何年生の時?

2年です。

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海野
目的は自分の考える建築を作ることで、「いけばな」はその手段だったわけですね。

そうです。

海野
勅使河原蒼風の興した草月流の竹中麗湖先生の門を叩いたのは?

それは偶然です。初回のいけばな教室は、正直いって、全然おもしろくなかったです。2回目に出かけたときに、たまたま竹中麗湖先生がいらして。大学生の僕を見つけて、「あなた、どうしてこんなところにいるの?」と声をかけていただいたんです。周りは年配の女性ばかりでしたから、若い男子学生が目立ったんでしょうね。

海野
それは、目立ちますよね。

その頃、いろいろな人に「建築のために、いけばなを学ぶ」と話していたんですが、ほとんどの人から「そんな余裕があるなら、もっと建築の勉強をしたほうがいい」と言われていました。そんな中、竹中先生だけが「それはおもしろいから、(いけばなを)やるといい」と背中を押してくれたんです。

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いけばなイメージ

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Posted by eしずおかコラム at 2018年08月29日12:00 | 48.辻雄貴さん
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