今月の物語の主人公は・・・
エディ・タチカワさん
今回登場していただくエディさんとは、実は20代の頃、同じ職場で働いていた時期がありました。ぼくの記憶の中の立川芳正(エディさんの本名)さんは、ダブルのスーツをビシッと着たデキる会社員のイメージだったのですが、〈eしずおかブログ〉の中で再会した彼は立川芳正ではなく、エディ・タチカワ。日焼けした顔と健康体の逞しい救急救命法の講師であり、仕事のかたわらで、波乗りとノルディック・ウォーキングを楽しむブロガーだった、というわけです。〈eしずおかブログ〉のランキングのご常連でもあるエディ・タチカワさんの、ブログにまつわるお話をどうぞ。
◆ブログタイトル「来たよ!いい波」
http://eddie.eshizuoka.jp/
※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史です。
※この記事は、全3回のインタビューのうちの1回目です。
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「ブログは、書き手の人柄を伝える」 前編
-ブログのお話を伺う前に、エディさんのプロフィールをお話していただけますか。「エディさんて何者?」って、eしずおかブロガーのみなさんは、ちょっと怪しんでいるんじゃないかと思って(笑)。
エディ/プロフィールですか、さて、どうしましょう?・・・もともとはサラリーマンです。海野さんもご存知の通り、求人情報誌のA社に入社してサラリーマンをやっていました。
今でこそ話せますが、正直A社はキツかったですね。力も個性もある人たちがたくさんいて、随分もまれました(笑)。みんな独立心も旺盛で…。ぼくはあの会社に入っていなかったら、いまでもサラリーマンやってたと思いますよ。
会社の業績が厳しくなったときに会社を辞めて、それで「さて、これからどうしよう」と。
その時に、趣味で続けていたダイビングの延長線上に、救急法があるなと。上手くいくかどうかわからないけど、アルバイトしながらでも救急法の勉強をして、先生を目指してみようと思ったわけです。
多くの人は、起業して、会社組織にして、大きく成長させたいと考えるのでしょうけど、僕としては、自分のライフスタイル、つまり毎日波乗りができて、仕事も両立させるという生活を崩したくなかった。若い頃にハワイに留学したのですが、現地で身に付いた生活を続けていきたかった。最初は、救急法の仕事で全国展開を考えた頃もありましたが、それでは生活の中で仕事の比重がどうしても大きくなってしまう。やっぱり、身の丈でやっていこうと。いろいろ折り合いをつけていった先に、今の生活パターンにたどりついたというわけです。救急救命法の講師として独立して来年で10年になります。
-エディさんがブログを初めたきっかけは何だったんですか?
エディ/eしずおかブログを始める前までは、2003年から“ポレポレ島”というコミュニティサイトに波乗り日記を書いていました。ここは、本名で日記を書いている人もいれば、ハンドルネームで小説を書いている人がいたり、なかなかユニークな人が集まっていたコミュニティサイトです。ネットにはまったのはここから。
でも、ブログが流行りだしてから、徐々にコミュニティサイトは下火になり、広がりを感じなくなっていたんです。そんな時に、〈eしずおかブログ〉がスタートするというのを知った。
-ブログには興味があったけど、どうしようか迷っていたわけですね。
エディ/ブログといっても、エキサイトやココログなどの全国ブログでやる気はまったくなかった。実は、2007年1月に〈eしずおかブログ〉がオープンして、しばらくは様子を見ていました。最初の頃は、お店の方が始めるブログが多かったですよね。
地域ブログであることに興味をもちつつも、その一方で、地域ブログで自分のように波乗り日記みたいな遊びのことばかり書いてしまっていいのかな、と。そんな心配もありました。
〈eしずおかブログ〉がオープンして3ヶ月程様子を見ていたのですが、お店のブログの中に遊びブログが入ることで、〈eしずおかブログ〉全体が盛り上がればいいな、と。そう考えて4月から自分のブログを始めました。
-人気ブログ「来たよ!いい波」ですね。そしてエディ・タチカワの誕生?
エディ/「エディ」は随分前からの僕のニックネームで、ポレポレ島でもエディと名乗っていました。でも〈eしずおかブログ〉にはすでに
、「ショコラ印」のエディ君がいたので、どうしようかと。顔出しすることは決めていたので、だったら本名も出してしまえ、となったわけです。でも立川芳正ではエディが死んでしまうので、エディにタチカワをくっつけた。今では仕事でもエディ・タチカワを使っています(笑)
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