35.オルタナティブスペース・スノドカフェ代表/柚木康裕氏(1)

2015年01月27日12:00
今月の物語の主人公は・・・
オルタナティブスペース・スノドカフェ代表
 柚木康裕
(ゆのきやすひろ)さん


35.オルタナティブスペース・スノドカフェ代表/柚木康裕氏(1)
 1965年、静岡市清水区生まれ。同区でブティック・スノードールを2000年に引き継ぎ、2代目として2002年にリサイクルブティックとして再スタート。2006年にオルタナティブスペース・スノドカフェ開店。以来、美術の展示会や演劇、トークイベントを開催。アート関連イベントにも参加。2011年以降「ふじのくに⇄せかい演劇祭」フェスティバル・バーにコーディネーターとして参加。2012年静岡発芸術批評誌「DARA DA MONDE」(だらだもんで)を創刊。2013年静岡大学アートマネジメント力育成事業で企画された展覧会「めぐるりアート静岡」講師を勤める。2014年葵区七間町に新たな拠点「スノドカフェ七間町」をオープン。現在も会社経営とともに様々な人が出会う「場」作りを通して、地域から発信するアートの支援活動を行っている。

リサイクルブティック・スノードール
洋服をめぐる物語。by スノードール


※聞き手は、(株)しずおかオンライン代表/海野尚史さんです。
インタビュー日時:2014年12月24日
場所:スノドカフェ七間町(静岡市葵区)
撮影:森島吉直(しずおかオンライン)

※この記事は、全4回のインタビューのうちの1回目です。
≫インタビュー2回目はこちら
≫インタビュー3回目はこちら
≫インタビュー4回目はこちら

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|幅広い活動のはじまりは?

-こんにちは。今日は柚木さんの活動についてじっくりお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

柚木/こちらこそ、よろしくお願いします。

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-2014年9月に「スノドカフェ七間町」がオープンしました。おめでとうございます。

柚木/ありがとうございます。

-カフェでのイベント開催、芸術批評誌『DARA DA MONDE』(だらだもんで)の発行、「ふじのくに⇄せかい演劇祭」や「シズオカ・カンヌ映画祭」のコーディネーター、静岡大学アートマネジメント力育成講座の講師など、リサイクルショップやカフェの経営者から、活動の幅がとても広がっていますね。そもそもの始まりはリサイクルブティックですよね。

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柚木/いえいえ、違いますよ。最初は、婦人服を扱うふつうのブティックです。母親が経営していたのですが、2000年に母親が亡くなり、突然引き継ぐことになったんです。

-何歳の頃ですか?

柚木/35歳です。当時はブティックと喫茶店、その2階には小さなバーのようなスペースがありました。


|オーナーになったブティックの経営は?

-突然ブティックのオーナーになったわけですね。経営は順調でしたか?

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柚木/とんでもない。昔の田舎のブティックというのは、店よりも店主にファン(お客さま)がついていました。母親は高級な婦人服を扱っていたので、お客さまも、母親と同世代の生活に余裕のある女性が中心でした。

-はい。

柚木/最初は、とりあえず母親がやっていたお店をそのまま続けたんです。東京へ仕入れも行き、実際に一年半ほどやってみてわかったのは、35歳の、婦人服の専門家でもない自分には、母親のお客さまを満足させられるお店を運営するには力不足だということ。それでもお店を維持するためにあれこれと試みたのですが、次第に経営状況が厳しくなってしまいました。


|売上げもほとんどない、ゼロからのスタート

-そんなことがあったんですか。それでお店をリサイクルブティックに?ふつうは自分が店主になったら、自分と同世代のお客さまを相手に、自分好みのブランドを揃えた店作りをやりたくなる気がしますが、勇気がいりませんでしたか?

35.オルタナティブスペース・スノドカフェ代表/柚木康裕氏(1)


柚木/リサイクル品を扱うようになったのは、ぼく自身が洋服の専門家ではなかったことが大きな理由です。急にお店を引き継いでから一年半の間に、ブティックを経営することの大変さを身をもって実感しましたから。

-どんなことが難しかったのですか?

柚木/ブティックは、お店に並べる商品を仕入れるためにお金がかかります。ぼくは母親の時代からお店を手伝っていたので、お店に現金がない状態なのを知っていました。ぼくが引き継いで、さらに経営状況が悪くなる中で「これからどうしようか」と考えた末にひらめいたのが、“リサイクル”という委託販売の方法でした。

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-なるほど。

柚木/委託販売であれば、お客さまから洋服を預かるだけで、お店に商品を並べることができます。仕入れにお金がかからず、売れたときだけお金が動く。“リサイクル”を選んだ理由はその一点です。つまり、ほかに選択肢がなかったわけです。

-資金繰りの改善が大きな課題だったんですね。リサイクルのノウハウは、どこかで学んだのですか?

柚木/いえ、すべて自分で考えました。経験はまったくありませんでしたが、ぼくは何をやるにも、いつもそうなんです(笑)。それが2002年のこと、売上げもほとんどない、ゼロからのスタートでした。


|リサイクルブティックに専念する決断

-手探りの状態での再スタートだったわけですね。

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柚木/はい。店名は変えず、“リサイクル”という言葉を付け加えただけでした。古着は長い間、Tシャツやジーンズなどのアメカジが主流。いま、わたしたちが扱っているような、ふつうの婦人服をリサイクルするお店は、当時ありませんでした。

-そうでしたか。

柚木/そんな状況でしたが、“スノードール”には、高級婦人服というイメージが地元で定着していましたから、おかしな服を持ち込む人はいませんでした。もちろん自分たちも、委託で預かる洋服にはこだわり、品質をキープする努力をしたこともあって、来店したお客さまがよい服を安く買えると、喜んでリサイクルの婦人服を買ってくれたんです。

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柚木/軌道に乗りだしてきたころには、経営的観点から喫茶店とバーの閉店を決断し、リサイクルブティック一本に専念しました。

-はい。


|リサイクルに方向転換したのは大きな転換点だった

柚木/後になって気づきましたが、店名をスノードールのまま変えなかったのが幸いでした。最近の若い人はそうではありませんが、ミセスの方は古着に抵抗があります。リサイクルが一般的ではなかった当時はなおさらでした。そんな中「スノードール」で古着デビューしたミセスの方は本当に多いと思います。

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-そういうことだったんですね。

柚木/もうひとつ、時代もよかったですね。2000年代前半は、「ロハス」や「エコ」などへの関心が社会的に高まった時期。そんな社会の変化と重なって、リサイクルのイメージがマイナスからプラスへと大きく変わりました。

-最近の言葉でいえば、環境や社会貢献などの倫理的な消費行動をさす「エシカル」消費を先取りしていたわけですね。

柚木/時代の後押しもあって、お店は再スタート後ずっと右肩上がりで成長しました。おかげさまで、5~6年ほどでなんとか軌道にのりました。ふりかえってみれば、お店を“リサイクル”ブティックに方向転換したのは、今にいたる大きな転換点だったように思います。

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Posted by eしずおかコラム at 2015年01月27日12:00 | 35.柚木康裕さん
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